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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第2章 狭霧の告白
和彦の母親は、急ぎ密かに呉服町の狭霧の家に向かった。
狭霧の継母に会うためだ。
母親は、恐縮するさな絵の前で落ち着き払った態度でいきなりこう述べたのだ。
『お宅の狭霧さんと和彦を主人には内密に巴里に行かせることにいたしました。
…貴族の子弟は成人すると見聞を深めるために何年か欧州へ行くことは通説となっております。
…そこに「お友だち」が同行しても不思議ではありますまい。
むしろこの日本に居て、このまま不適切な関係を続け、醜聞を流すよりはましと思った次第ですの。
けれど主人には内緒です。
堅物の主人が賛成するわけがございませんもの。
…つきましては、ぜひ、奥様にもご協力いただきたいのです』
寝耳に水の話に、さな絵は驚き言葉も出なかった。
貴族のご令室様というのは、何という突飛なことを考えるのだろう。
同性で愛し合う二人を引き離すどころか、欧州に送り出すなどと…。
さな絵の心の内を察知したかのように、母親は薄く微笑った。
『…実はね、貴族社会では同性愛は珍しいことではないのです。
いにしえの昔にはお稚児さんや念弟を持つことは当たり前でした。
…結婚前に夜の営みの練習をするのですよ。
男性同士でしたら子を孕むこともなく、後腐れございませんからね。
私の兄は華族学校の寄宿舎でよく寝込みを襲われたと申しておりましたわ。よくあることなのです。
…けれど、その恋愛に本気になってはなりません。
一時の麻疹のようなものなのですからね』
と、冷静に釘を刺す。
『…奥様…』
なんと答えてよいか分からず眼を見張るさな絵に、母親は如何にも貴族の婦人らしい品の良い貌を引き締め、膝を進めた。
『…和彦は、狭霧さんと別れるくらいなら死ぬと思い詰めております。
和彦は大切な山科家の跡取り息子、命を絶つなんてとんでもない。
そして、醜聞に塗れさせる訳にもまいりません』
『…奥様…けれど…』
躊躇するさな絵の手を母親は握りしめた。
その手は如何にも貴族の女性らしくなめらかで、そして驚くほど冷たかった。
『…若い二人の将来を守るためですわ。
…大丈夫。
日本を離れ、華やかで自由な巴里で生活すれば、きっと二人は趣旨替えいたしますよ。
数年後、狭霧さんはきっと青い眼の可愛いお嫁様を連れ帰られますわ。
…もちろん、和彦も…ね』
母親は京雛のように整った貌に、ひんやりとした笑みを浮かべたのだった。
狭霧の継母に会うためだ。
母親は、恐縮するさな絵の前で落ち着き払った態度でいきなりこう述べたのだ。
『お宅の狭霧さんと和彦を主人には内密に巴里に行かせることにいたしました。
…貴族の子弟は成人すると見聞を深めるために何年か欧州へ行くことは通説となっております。
…そこに「お友だち」が同行しても不思議ではありますまい。
むしろこの日本に居て、このまま不適切な関係を続け、醜聞を流すよりはましと思った次第ですの。
けれど主人には内緒です。
堅物の主人が賛成するわけがございませんもの。
…つきましては、ぜひ、奥様にもご協力いただきたいのです』
寝耳に水の話に、さな絵は驚き言葉も出なかった。
貴族のご令室様というのは、何という突飛なことを考えるのだろう。
同性で愛し合う二人を引き離すどころか、欧州に送り出すなどと…。
さな絵の心の内を察知したかのように、母親は薄く微笑った。
『…実はね、貴族社会では同性愛は珍しいことではないのです。
いにしえの昔にはお稚児さんや念弟を持つことは当たり前でした。
…結婚前に夜の営みの練習をするのですよ。
男性同士でしたら子を孕むこともなく、後腐れございませんからね。
私の兄は華族学校の寄宿舎でよく寝込みを襲われたと申しておりましたわ。よくあることなのです。
…けれど、その恋愛に本気になってはなりません。
一時の麻疹のようなものなのですからね』
と、冷静に釘を刺す。
『…奥様…』
なんと答えてよいか分からず眼を見張るさな絵に、母親は如何にも貴族の婦人らしい品の良い貌を引き締め、膝を進めた。
『…和彦は、狭霧さんと別れるくらいなら死ぬと思い詰めております。
和彦は大切な山科家の跡取り息子、命を絶つなんてとんでもない。
そして、醜聞に塗れさせる訳にもまいりません』
『…奥様…けれど…』
躊躇するさな絵の手を母親は握りしめた。
その手は如何にも貴族の女性らしくなめらかで、そして驚くほど冷たかった。
『…若い二人の将来を守るためですわ。
…大丈夫。
日本を離れ、華やかで自由な巴里で生活すれば、きっと二人は趣旨替えいたしますよ。
数年後、狭霧さんはきっと青い眼の可愛いお嫁様を連れ帰られますわ。
…もちろん、和彦も…ね』
母親は京雛のように整った貌に、ひんやりとした笑みを浮かべたのだった。