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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第2章 狭霧の告白
さな絵ははっとした。
狭霧の真摯な言葉と表情に驚いたのだ。
いつも世の中を斜に構え、皮肉めいた冷ややかな笑みを浮かべている狭霧はそこにはいなかった。
少なくとも、さな絵の知る狭霧ではなかった。
…もしや、狭霧さんは本当に山科様を愛しているのではないか…。
さな絵は密かに思った。

狭霧の一言でその場が、水を打ったように静まり返った。
和彦は信じられないようにその瞳を見張るばかりだったが、やがて、震える声で狭霧に懇願した。

『…何を…何を言っているの?
別れるなんて…出来るはずがない…!
僕は…狭霧と別れるくらいなら…』

和彦の瞳が、静かに仄暗く煌いた。
…死ぬよ…。
その震える唇から漏れたのだ。

『君と別れるくらいなら、今すぐここで死ぬ…!
君がいない人生なんて考えられない!考えたくもない!
…ああ、狭霧…!
お願いだから、僕から去らないで…!
僕の傍にいて…!
僕とともに生きると言ってくれ…!
…お願いだ…!』

それは、胸が痛くなるような悲痛な叫びであった。
和彦は嗚咽を漏らしながら、狭霧の足元に縋りつき、泣き崩れた。

さな絵はこの愁歎場を傍らで見守りながら、背筋がぞくりと震えるのを感じた。
この青年は、こんなにも激しく狭霧を愛しているのか…。
そして、こんなにも熱く激しく、命を賭すような恋を、自分は知らないと思った。

…さな絵は、神田の紙問屋の末娘として大切に育てられた。
幼い頃、軽い結核を患い、それで婚期をやや逃した。
老舗の呉服屋の後添いにとの縁談が舞い込んだとき、さな絵は周りが勧めるままに承諾した。
それまで恋をしたことはなかった。
夫はさな絵の従順な性格と可憐な容姿が気に入ったのだろう。
大切にされているとは思う。嫌な思いをしたことは一度もない。
けれど、夫は口数の少ない寡黙な男なのではっきりと愛を打ち明けられたこともない。

…こんなにも、全身全霊で男に激しく強く求められたことは、私はない…。
さな絵は、狭霧に羨望と嫉妬めいた感情を抱いた。
他人ごとなのに、泣きたくなるような感情にも襲われた。

『…和彦…』
狭霧が美しい眼差しに哀しみと愛おしさの色を滲ませた。
そうして、足元に縋る和彦の手をそっと取った。

『…分かったよ…。
…お前と、どこまでも一緒にいこう…』


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