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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第1章 出会い
狭霧は少しむっとする。
「…あんたさ、俺が酔狂で冷たい道に寝っ転がってるとでも思ってる?」
男は洗練された仕草で肩を竦め
「いや。夏ならともかく、真冬の石畳みは冷えるだろうね。
日本の我慢大会…じゃないだろう?」
涼しい貌で答えた。
「俺はもう今死んでもいいくらいヤケクソになってんの。
あんたの軽口に付き合ってる余裕はないの。
放っておいてくれ」
そっぽを向く顎を、上質な黒革の手袋の指に捕らえられる。
「…君は…」
男の切長の黒い瞳が、きらりと輝いた。
「…とても綺麗な貌をしているのだね…」
…何を呑気に。
俺は凍死するかどうかの瀬戸際だっていうのに。
腹立ち紛れに睨みつける。
「離せ。俺にかまうな」
男は少しも気分を損ねず、にこやかに笑ってみせた。
「そうはいかないさ。
遠い異国のパリで、傷ついた同胞を見捨てるなんて、私の主義に反するからね。
…さあ、手を貸したまえ」
…俺の怪我を見抜いている…。
狭霧は驚いた。
黒革の手袋を嵌めた手が、さながらワルツを申し込むかのように優雅に差し出される。
「…人命救助だ。
これ以上、ここで寝ていたら君は確実に死ぬぞ。
さあ…」
…その手を振り払うことは簡単だった。
振り払い、再び石畳みに寝そべり、死を待つ…。
別に怖くはない。
死んだら和彦のところに行ける。
願ってもないことだ。
…けれど…。
狭霧は、悴んだ手をこわごわと差し伸べていた。
男の手が、意外なほどに力強く狭霧の手を握りしめた。
革手袋越しの男の体温が温かい。
懐かしいような、身体と心に染み入るような、不思議な温かさだった。
「…いい子だ。坊や」
甘やかすような、優しい声と眼差しだった。
狭霧は男を睨みつけた。
「子ども扱いするなよ、おっさん!」
男は愉快そうに笑いながら、軽々と狭霧を引き上げた。
「…それだけ元気なら大丈夫だ」
…男の胸元からふわりと漂うのはガルバナム, ナルキッソス…
GuerlainのVol de Nuit …夜間飛行が密やかに薫った…。
「…あんたさ、俺が酔狂で冷たい道に寝っ転がってるとでも思ってる?」
男は洗練された仕草で肩を竦め
「いや。夏ならともかく、真冬の石畳みは冷えるだろうね。
日本の我慢大会…じゃないだろう?」
涼しい貌で答えた。
「俺はもう今死んでもいいくらいヤケクソになってんの。
あんたの軽口に付き合ってる余裕はないの。
放っておいてくれ」
そっぽを向く顎を、上質な黒革の手袋の指に捕らえられる。
「…君は…」
男の切長の黒い瞳が、きらりと輝いた。
「…とても綺麗な貌をしているのだね…」
…何を呑気に。
俺は凍死するかどうかの瀬戸際だっていうのに。
腹立ち紛れに睨みつける。
「離せ。俺にかまうな」
男は少しも気分を損ねず、にこやかに笑ってみせた。
「そうはいかないさ。
遠い異国のパリで、傷ついた同胞を見捨てるなんて、私の主義に反するからね。
…さあ、手を貸したまえ」
…俺の怪我を見抜いている…。
狭霧は驚いた。
黒革の手袋を嵌めた手が、さながらワルツを申し込むかのように優雅に差し出される。
「…人命救助だ。
これ以上、ここで寝ていたら君は確実に死ぬぞ。
さあ…」
…その手を振り払うことは簡単だった。
振り払い、再び石畳みに寝そべり、死を待つ…。
別に怖くはない。
死んだら和彦のところに行ける。
願ってもないことだ。
…けれど…。
狭霧は、悴んだ手をこわごわと差し伸べていた。
男の手が、意外なほどに力強く狭霧の手を握りしめた。
革手袋越しの男の体温が温かい。
懐かしいような、身体と心に染み入るような、不思議な温かさだった。
「…いい子だ。坊や」
甘やかすような、優しい声と眼差しだった。
狭霧は男を睨みつけた。
「子ども扱いするなよ、おっさん!」
男は愉快そうに笑いながら、軽々と狭霧を引き上げた。
「…それだけ元気なら大丈夫だ」
…男の胸元からふわりと漂うのはガルバナム, ナルキッソス…
GuerlainのVol de Nuit …夜間飛行が密やかに薫った…。