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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第2章 狭霧の告白
『…狭霧…。
探したよ…。ここにいたの…?』
背後からふわりと優しく抱き竦められる。

『…和彦…』
…温かな温もり…。
品の良い高価な石鹸の薫りで、彼だと解る。
狭霧はその腕を素直に握り返した。
…もう、二人きりだ。
誰に遠慮することもない。

…ただ…。

『…本当に行ってしまって良かったのかな…。
…和彦のお母さん、泣いていただろう?』 

別れ際、堰を切ったかのように、和彦の母親は激しく泣き出し、暫く離れようとはしなかった。

『お母様。お母様のご厚意を決して無駄にはしません。
巴里で、欧州で多くを学び、必ず立派な人間に成長します。
いつしかお母様に誇らしく思っていただけるように、努力します。
だから、お泣きにならないでください』
和彦がしっかりと母親に語りかけ、ようやく彼女は落ち着いたのだ。

いよいよ船に乗り込む際、お付きの女中に抱きかかえられるようにしながら和彦の母親は、狭霧を見た。
そうして一瞬、口惜しそうな…いや、微かな憎悪の眼差しを向けたのだ。

…山科夫人は、もう既に後悔しているのかもしれない…。
そして、いつか俺を激しく憎むようになるのかもしれない…。
狭霧はふと、漠然とした予感めいたものを覚えた。

『…そうだね…。
お母様を悲しませてしまったね…。
僕は本当に親不孝な人間だ』
苦しげな和彦の声が、湿った海風に運ばれる。

…でも…。

更に強く抱き竦められる。

『それでもいい。
君といられるなら。
…僕は地獄に堕ちてもいいんだ…』

…熱い情熱を含んだ声が、狭霧の鼓膜を震わせる。

『…和彦…。
…俺は…』
和彦の貌が寄せられ、愛の口づけが交わされようとしたその刹那…。

…乾いた靴音が近づき、ふたりの前で止まった。

『…失礼。
ご挨拶がまだだったので伺いました。
…縣礼也と申します』

月明かりは、背の高く凛々しく端正なまだ若い紳士の姿を照らし出す。

『…愛の逃避行のお手伝いが出来るとは、思っても見ませんでした。
まるでロマンス小説のようだ…。
朝からわくわくしていましたよ』

男は、堂々としたバリトンの美しい声で朗らかに…少し悪戯めいた口調で語りかけたのだ。


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