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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第3章 新たなる道の前で
「おはよう、狭霧くん。
よく眠れたかな?」
朝食室に入ると、奥の席には既に上質なスーツに身を包んだ北白川伯爵の姿があった。

…きちんと整った髪型、端麗な貌立ち、上着の襟のフラワーホールには白い薔薇の蕾が差してある。
…朝から文句のつけようがないほどに、水際だった紳士ぶりだ。

狭霧も巴里に来て二年が経つ。
日本人の富裕層の紳士はそれなりに見て来たが、北白川伯爵はそれらの人々とは全く異質に見えた。
伯爵は彼らとは比べものにならぬほど段違いに洗練されていたし、何より品格があった。
辺りを払うようなオーラと自信が、彼には満ち溢れているのだ。

「…私の服がよく似合うな」
にっこり微笑まれ、狭霧は自分の姿を見回す。
…執事に着るように促された服は、まるで真新しいような仕立ての良いシャツとスラックス、そして温かなカーディガンだった。

「…あの…。
昨夜はすみませんでした…。
俺はもう失礼します」
昨夜の非礼を詫び、辞そうとする。

しかし、伯爵は全く取り合わず、狭霧にテーブルに着くようにジェスチャーした。
「座りなさい。
英国式朝食は如何かな?」
「英国式?」
「そう。フランスでは朝食はごくごく簡単なものだろう?
私はケンブリッジに留学していたのだけれど、英国の朝食は世界一美味しいと学んだのだよ。
そこで、私は何処であろうと英国式の朝食を摂ることにしているのだ」

「…はあ…」
狭霧は渋々、席に着く。
「いつもの朝食は本場に倣ってビュッフェ形式なのだが、君が遠慮してもいけないと思ってね」
…へえ…。
英国貴族…て朝食はビュッフェなんだ。
巴里のこと、しかも庶民の朝食しか狭霧には分からないから新鮮だった。

執事のマレーが音もなく近づき、恭しく狭霧の前にウェッジウッドのターコイズの皿を置いた。
…半熟加減の丁度良いスクランブルエッグ、カリカリに焼けたベーコン、飴色に良く煮込まれたポークビーンズ、ブラウンソースのキドニービーンズ、フライドトマト…。
銀のトースト立てにはこんがり焼けた薄いトースト、たっぷりの上質なバター、マーマレード、木すぐりのジャムの壺も並ぶ。

狭霧は眼を見張った。
…この数日、酒浸りで食べものは殆ど口にしていなかった。

それを見通していたかのように、伯爵は優しく微笑んだ。
「さあ、食べなさい。
若者はしっかりと食事を摂らなくてはね」






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