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鬼の哭く沼
第8章 溺れる魚

「何を恥ずかしがってんだい。好いた男にこんなに愛されて、女冥利に尽きるじゃあないか」

「それは…っ、でも!」


真っ赤になった頬を夕鶴がつつく。


「本当に良かったよ。アンタが貴蝶に嵌められたって聞いた時は、皆そりゃあ心配したもんさ」


夕鶴の言葉にはっとする。
口を閉ざした香夜の隣りからほんと、と同意の声が上がった。小柄な桔梗が湯呑を盆に乗せて隣に座り、茶菓子と茶を香夜に差し出す。礼を言って受け取り、大人しく一口含んだ。玄米茶の香ばしく優しい香りが鼻を抜けていく。
夕鶴も湯呑を受け取り、部屋の端で他の女達と楽しそうにあやとりをしている双子に視線を向けた。


「双子は何聞いても泣きながら「ねね様」としか言わないし、男衆は殺気立って出ていくし。アンタの身に一体何が起きたのかと居ても立ってもいられなくなって、九繰様ンとこへ使いを出せば「問題ない」の一言で。問題ない訳ないじゃないか、あんな大事になってるっていうのに。だからねえ、こうして元気なアンタを見られてようやくほっとしたよ」

「夕鶴さん…」

「さん、は要らないったら。…ははっ、なんて顔してんだい」

「…ごめんなさい」


心配をかけて。
少し俯いた香夜の額を、ぴしりと指先が弾いた。痛っ、と声を上げると大らかに笑う声がする。


「バカだね、謝る必要がどこにあるんだい。アンタが悪い事したわけじゃなし。それに、言ったろう?力になるって。心配の一つや二つくらい、させておくれよ」


思わず顔を上げると、夕鶴の優しげな目があった。ぐっと込み上げるものに声を震わせありがとう、と言うと頭を撫でられる。熱くなる目頭を隠そうと俯く香夜に、頭の上の手がぽんぽんとあやすように叩いた。

夕鶴への救出依頼の際、簡単にだが事の顛末を伝えてあった。
人の口に戸は立てられない。九泉楼の最上位花魁、貴蝶が楼主のイロを襲ったという噂は誰が話さずとも九泉楼中、いや幽世中の噂になっていた。それを耳にした夕鶴達への無為な心配をかけまいとして、自分は無事だと伝えたかったのだ。
案の定、折り返して遊びに行く許可をくれた夕鶴の言伝の中に香夜を心配する言葉がこれでもかと並んでいた。

香夜の身を案じ、無事を喜んでくれる真っ直ぐな言葉たち。早く無事な顔を見せにおいで、と書かれた文を布団の中で抱き締めた。
夕鶴の、遊女達の優しさが嬉しかった。

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