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鬼の哭く沼
第3章 九泉楼
九泉楼、楼主・須王の自室がある屋敷の中庭。
賑やかな喧騒から少し隔たれた空間の中、その小さな池は夏の夜の生温い風に水面を静かに揺らしている。小さな中庭にぽつんと存在する、何の変哲も無いただの池だ。色気も、風流さの欠片も無い。
「まったく、友人甲斐の無い男よのう…わざわざ駆けつけた友から酒を取り上げて外に放り出すとは」
その池の縁に立ち、ぶつぶつと不平を零す九繰の口調はそれでも、どこか楽しげだ。切れ長の目を細め、さざめく水面へ視線を滑らす。静かな、何の異常も無いように見える池を。
羽虫が飛び込んだのだろう、傍らの石燈籠からはジジッと火油の燃える音がした。
「ふむ……」
吐息に呼応して、右手に掲げた青白い焔が一回り大きくなった。じっと暗い水面を見つめていた九繰の肩から力が抜けて、ゆらりと白銀の尾が困惑したように小さく揺れる。
やはり異常は見受けられない。当然だ、九繰自らが厳重にかけた「術」なのだ。早々容易に解けるものではない。
この池は、現世と妖の地である幽世を繋ぐ門だ。上の世で沼に身を投げた者は、総じてこの池に辿りつく。辿り着いた者は皆、池の主であるこの九泉楼の楼主の隷属となり、この地での「役」を課せられる。大昔から、それがこの幽世の掟であった。
だが現楼主である須王が主となって暫くすると、門は厳重に閉じられた。その際に門に術をかけ封をするよう依頼されたのが九繰だ。どんな事があっても、解けない封をと言われ幾重にも施した術。当然、門が開かなければ池を通じて辿り着く者もいなくなる。永きにに渡り、池を通る者などいなかったというのに。
池の水面を眺めていた九繰は、カタリと小さな音に気付いて顔を上げた。音のした先は建物の二階、須王の閨の一つだ。その障子窓を開けて庭を覗く人影は、九繰が視線をやると慌てたようにじたばたと動く。
(ほお。あれが噂の「寝子」…)
面白い動きをするその人影に、九繰の口元がにんまりと弧を描いた。