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鬼の哭く沼
第1章 祭りの夜 

逃げて、大野を一発殴ってやらなければ気が済まない。

きっと顔を上げ地面についた手を握り、砂と砂利を掴むと一番先頭の野犬に向かって思い切り投げつける。そして香夜は跳ね起きた。転んだ時に脱げてしまった下駄もついでに掴んで投げつける。走り難い浴衣の上、下駄を履いたままでは思うように走れない。

初めての反撃を受けて一瞬たじろいだように踏鞴を踏んだ先頭の犬を見て踵を返し、野犬とは間逆方向、藪の中へと飛び込んだ。そしてがむしゃらに奥へと走り出す。
下生えや草を踏み、湿った土を蹴って奥へ、奥へ。石を踏む度、硬い草の茎が顔や腕を打つ度、痛みが走るが然程気にならない。それ程に必死に駆けた。

足元など全く見えない。光源の無い山の中だ、どこをどう走っているのかすら分からない。けれど上手く獣道に添っているのか、足を止める程の障害物は無い。

浴衣の裾を乱し、息を切らして駆ける香夜の背後から野犬たちが追って来る気配がする。


「はっ……ハ、はぁ…!や…来るなっ…!!」


歯を食いしばって走って、走って、酸欠で意識が混濁する。足を止めたら死ぬ。その一心で走り続けた香夜は唐突に水の匂いを嗅いだ気がした。



何………、



ふいに、身体に触れる草木が無くなったと思った途端。裸足の足が抜かるんだ土を踏み、バランスを崩す。体勢を整える余裕なんて無かった。


「わ、なん……」



ばしゃん!



そして意識は暗転する。


香夜が憶えているのは真っ暗な穴に自身が倒れ込んだ音と、全身を包む冷たい水の感触だけだった。



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