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鬼の哭く沼
第4章 それぞれの思惑
「ねぇ、ちょいとアンタ!」
「………?」
「そうだよ、アンタだよアンタ。他に誰がいるってんだい」
背後から声をかけられ、振り返った。
そこに立っていたのは香夜よりいくつか年上の女性だ。簡素ではあるが、胸元を大きく肌蹴させた着物からは彼女のここでの職業は容易に想像できる。意思の強そうなしっかりした眉と、真っ赤な紅を引いた唇が印象的だ。蓮っ葉なもの言いで、満面の笑みを浮かべ手招きをする。呼ばれているのは間違いなく自分だが、その理由が分からずに首を傾げると彼女は鼻を鳴らして腰に手を当てた。
「そんなおっかなびっくりしなさんな。大丈夫、取って喰ったりしないから」
ちょっと、顔を貸しておくれでないかい。
にっと笑って、彼女はそう言った。
翌日。仕立て終わった着物や帯だのが部屋に届けられた際、須王に離れから出る許可を貰った香夜は、雪花を連れて遊郭側の建物へと散策に出ていた。風花は残念ながらお勤めがあるというので、お留守番をして貰っている。
香夜が部屋を与えられた離れは、決して狭い建物では無い。だが何日も同じ建物の中ではさすがに見る物にもする事にも限界がくる。
第一、香夜に許された「する事」など昼は双子と遊んだり、時折須王の目を盗んで顔を覗かせる九繰と話をしたりする程度。
それはそれで楽しかったが、いい加減飽きてきたのも事実。そこで試しに離れから出てみたいと口にすると、しばし考えた末にいくつかの条件付きで許可をくれた。
遊郭棟に行くのは朝から夕方の明るい間のみ。決して一人では行かず、双子のどちらかを連れていく事。九泉楼の敷地からは何があっても出ない。
その条件に、香夜は素直に頷いた。
九泉楼へ来てしばらく経つが、こうして離れの外へ出るのは初めてだ。一番初めに須王に禁じられていたというのもある。
帰る方法も道も無い。建物の外は人を喰らう妖だらけだ、一歩でも出ればお前など只の餌にすぎん。ここに居れば命の保証はしてやる。
そう言って散々脅されていたから、一人で建物を出る勇気は無かった。だからこうして外に出られる事が酷く嬉しい。
物珍しげに周囲を眺める香夜に、雪花が一つ一つ案内をしてくれる。建物も調度品も、どれも美しいものばかりで自然気分は高揚した。