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鬼の哭く沼
第4章 それぞれの思惑
「そうさ。あの楼主様がイロを囲って、尚且つ部屋から出さぬ程溺愛しているらしい、ってね」
「で…溺愛って…」
あの、ってどの楼主様だ。須王か。一体どういう意味をもっての「あの」なのか気になる所だが、とにかく嫌な予感的中だ。言い淀んだ香夜に何を勘違いしたのか、女達の間からまたきゃあ、と嬌声が上がる。
「やっぱり噂は本当だったのねえ」
「でも私もの凄い美女だって聞いてたから驚いちゃった。あらやだ、ごめんなさい。悪い意味じゃないのよ?」
あちこちで勝手にやり取りされる内容に頭が付いていかない。しばらく須王や双子、九繰以外にこんなに大勢に囲まれた事が無かった為だろうか。とりあえず誤解を解こうと口を開く。
「あの、溺愛なんてそんな事……人の事十人並みだとか洗濯板だとか、渾身の笑顔見せたら気色悪いとか言うし…」
何だか自分で言っていて泣きたくなってきた。眉間に皺を寄せて羅列する香夜に、夕鶴は立派な眉をくいっと持ち上げて指を伸ばす。つと、指先が触れたのは着物の胸元に揺れる銀の蝶だ。
「アンタはどう思おうと、楼主様からこれを頂いたんだ。大切にされているよ、アンタ」
「大切に、なんて…」
視線を落とせば、夕鶴に触れられた蝶の鈴がちりんと鳴る。確かに、贈り物は山程貰った。けれどそれは香夜が「イロ」だからだ。須王も言っていた。イロを美しく飾るのは義務だ、と。そこに特別な感情など無い…筈だ。ちらりと、よく似合っている、と言った時の須王の顔が思い浮かんでかっと頬に熱が灯る。誤魔化す様にふいっと横を向いて呟く。
「贈り物くらい、今まで誰にだって…」
言って、ちくんと心臓が痛んだ。
そうだ。こんな贈り物なんて自分以外にもいくらだって渡しているに違いない。何せ相手はあの好色な鬼の事。愛人だって、何人も居ただろう。いや、実際今現在だって「イロ」が香夜一人とは限らないではないか。ここは遊郭。女の園だ。
「だから、私は別に…」
段々と小さくなる声。胸が苦しいのはきっと気のせいだ。脳裏に浮かぶ、他の女を抱く須王の姿に息が詰まるのも、気のせい。
「それは無いね」
俯いてしまった香夜の頭上から、きっぱりした声が聞えて顔を上げる。夕鶴はまっすぐに香夜を見据え、伸ばした指を蝶からそれを支える結い紐に滑らせた。