この作品は18歳未満閲覧禁止です
- 小
- 中
- 大
- テキストサイズ
鬼の哭く沼
第4章 それぞれの思惑
「結局は毛色の違う野良猫に気を引かれた、ただそれだけの事。それをこのようなごみ溜めで下女共にちやほやされよって……楼主様のイロだと?あつかましい。良い気になるでないぞ、小娘」
「…良い気になんてなってませんけど」
「何じゃと」
黙っていようと思ったが、胸のむかつきを抑えきれず口から低い声が漏れた。ぎょっとしたように周囲の遊女がこちらを見る気配がする。おやめ、と誰かの制止の声が聞えた。
「……ふん、まあ良い。どうせすぐに飽きられるであろう。所詮は野良。わたくしとは違う、……?」
ふと、偉そうに捲し立てていた貴蝶が言葉を切って己の左下を見る。途切れた声に皆も不思議に思い、視線を下に下げた。今まで大人しく壁際で成り行きを見守っていた雪花が、ひらひらした貴蝶の着物の袖を握っている。
「…………」
「何の真似じゃ、童」
「……って…」
「何?」
「ねね様に、あやまって」
小さな紅葉のような手が、厚い生地をぎゅっと掴んでいる。桃に似たまるい頬が、怒りの為か僅かに紅潮しより一層桃のようだ。
「雪花……!」
慌てて呼んで止めようとするが、幼子はきっと口を引き絞ると首を振る。
「ねね様はお優しい。遊んでくれるし、頭もなでてくれる。主さまとだって仲良しだもの」
「じゃからどうした。手を離せ、童」
「いやだ。ねね様の悪口は、ゆるさない。あやまって!」
「黙れ!その汚い手を離せと言うておろうっ」
「あやまるまで、はなさない!」
「っ、この童……!」
「やめ…っ!!」
振り上げられた右手。咄嗟に夕鶴の背後から飛び出したが、一歩間に合わなかった。
ぱん、と乾いた音がして雪花の小さな軽い身体が毬のように転がる。小さく上がった悲鳴は背後の菊月達からだった。
「汚らわしい忌子め……離せと言うたであろう!」
「貴蝶!アンタって女は…!」
雪花の頬を張った右手を着物の袖で拭いつつ、貴蝶が叫ぶ。怒りに震える夕鶴の声がそれに重なった。
一気に膨れ上がった緊張感を背に、香夜は襖に頭を押し当てて小さな体を丸める幼子の元へ滑り込むようにしゃがむ。そしてそっと身体を抱き上げた。
「雪花、雪花…大丈夫?!どこか打ってない…?痛い所は?」