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鬼の哭く沼
第4章 それぞれの思惑
白く柔らかそうな頬の右は赤く腫れ、大きな目にはうっすら水の膜が出来ている。懸命に泣くまいとしているのだろう、下唇を噛んで震える様が痛ましい。
香夜の問いに微かに首を振った雪花の頬を極力優しく掌で触れ、もう片手で乱れた髪を梳くようにしておかっぱ頭を撫でてやる。すん、と鼻を啜る音が腕の中から聞えて、香夜の中で何かが音を立てて切れた。
「何が鬼、何が愛人、何が花魁……いくら顔形が綺麗でも、やってる事は最低じゃないですか」
低い、けれど怒りを含んだ声音が口から溢れ出す。心底怒った時こそ敬語になるのは、香夜の癖だ。顔は無表情に近いが、心の中は怒りで沸騰している。
小さな子供に手を挙げる、この女の事が許せなかった。下から睨み、真っ直ぐに貴蝶を見据える。
「何を偉そうに…卑しい野良猫の分際で…っ」
「別に望んで須王の愛人になったわけじゃないですから。さっきから聞いてれば人の悪口ばかり…よくそこまで思いつきますね。口汚いにも程がある。挙げ句、こんな小さな子供に手を挙げますか。一体どちらの方が卑しいんだか。貴女のそういう態度こそ、須王が離れて行った原因なんじゃないですか」
「な、何と……!」
貴蝶が絶句し、わなわなと唇を震わせる。
まさかこの自分が、こうも真っ向から喧嘩を売られようとは。しかも相手は年端もいかない小娘。須王に買い与えられたのであろう、高価な着物とその胸には憎らしいかな、禁色の蘇芳色。日頃から自分を嫌っている下級遊女達は嫌悪を含んだ責めるような視線を向け、楼主須王以外に懐かないという双子の一人は先程小娘を庇った。
一体何故、こんな凡庸で小汚い小娘が。全てが貴蝶の神経を逆撫でする。
「黙らっしゃい、この汚らわしい小娘が!」
激情のままに、再度右手を振り上げる。それに怯えるでもなく、視線を反らさず毅然と貴蝶を睨んだままの香夜の頬を、右、手首を返して左、と数度張る。長い爪が触れて、右頬が微かに切れ赤い線が浮かび上がる。ぷくりと血が盛り上がり、頬を一筋伝っても香夜の瞳は強い光を宿したままだった。
しばしの強烈な睨みあいの末、先に目を反らしたのは貴蝶だ。