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鬼の哭く沼
第4章 それぞれの思惑
「く……、うぬ…。この、身の程知らずの愚か者が…!このわたくしを愚弄した事、決して許しはせぬ!必ず後悔させてやろうぞ!」
肩をいからせ胸を反らし吐き捨てると、踵を返し着物の裾を爪先で蹴って部屋を出ていった。
「……香夜、アンタ……」
「………あー……こわかった…」
「………は?」
部屋中に残った緊張感をぶち破る様な、香夜の間の抜けた声に夕鶴が目を瞬かせる。
「だって物凄い顔で睨んでくるんですもん…ほんと、恐かったー…。って、いたたたた…!あれ、ちょっとこれ私のほっぺた切れてない?!」
腫れた頬を撫でていた手につく血の色に、ぎゃっと声を挙げて慌てる。咄嗟に着物の袖で拭こうとするも高価なものだと思い出して止め、拭くものを探しきょろきょろする姿に夕鶴は吹き出した。
「ぷ……っはは!香夜!アンタ本当に面白い奴だねえ!」
気に入ったよ、と腹を抱えて豪快に笑い出すと、後ろで我慢していた女達も一気にどっと笑う。突然の笑いの渦に囲まれた香夜はそんな遊女達をきょとんと見上げた。
「まったく、折角わたしが止めたのにあんた喧嘩売るんだもの。見掛けに因らず沸点の低い事!」
「あれには血の気が引いたわねえ、ほんと」
「いやー、でもお陰ですっきりしたよ。良い啖呵だったわ。見た?貴蝶の悔しそうな顔!」
「見た見た。格好良過ぎて惚れちまうとこだったね」
「はは!こりゃあ楼主様も苦労なさるわ。とんだじゃじゃ馬だもの」
「じゃじゃ馬って……」
酷い言われようだ。情けなく眉尻を下げた香夜の前に腰を降ろし、夕鶴は濡らした手巾を差し出す。一つは雪花の頬を抑えるよう言って香夜に渡し、もう一つで香夜本人の右頬の血を拭う。
「いた、いたた…夕鶴さん痛い!」
「さん、はいらないって言ったろう。これくらい何さ、さっきの勇ましさは何処いったんだい。全く…どうすんだい、大事な顔に傷なんかこさえちまって。楼主様に怒られちまうよ」
言いながら綺麗に傷口の血を拭い、新しい手巾で香夜の両頬を挟むと目を細めて笑う。そして頭を下げた。
「有難うね、香夜。アタシ等の事で怒ってくれて」
「え、いや…私は別に…!」