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鬼の哭く沼
第4章 それぞれの思惑
頬を叩かれて転ぶ雪花の姿にぷっつんしてしまっただけで、何もお礼を言われるような事はしていない。慌てて首を振ると、良いから礼は黙って受け取るもんだ、と窘められる。
「嬉しかったよ。アンタが怒ってくれて。今更あの女に何言われたって気にしやしないが、気持ちの良いもんじゃ無いからねえ。だからと言って正面切って喧嘩売れば、アタシだけじゃなく下級遊女皆の立場が危うくなる」
あの女は裏でこそこそするのが得意な嫌な女だから、と言って夕鶴は顔を顰める。アンタも例外じゃないから気をつけな、と口調に苦いものが混じった。
「あの貴蝶の事だ…もしもの事がある。アンタには楼主様の後ろ盾もあるし、あんだけ勇ましきゃ必要ないかもしれないけどね。でももし、万が一何か困った事があったらアタシ等を頼っといでよ。そう大した事は出来ないかもしれないけど、出来る限り力になるから」
「夕鶴さん…」
暖かい言葉に、じわりと目頭が熱くなって慌てて俯いた。腕の中で大人しくしていた雪花が、心配そうに香夜を見上げている。その頭を、夕鶴がそっと手を伸ばし撫でた。
「アンタもだよ。忌子だなんて言われてさぞ傷ついたろ」
雪花は答えない。けれど、頭を撫でる手を嫌がる素振りは見せなかった。気になったのは先程も聞いた単語だ。
「あの…夕鶴さん。忌子って?」
「ああ、まあ…通称のようなモンさ。鬼と人の間に生まれる子供の事だよ。特に母親が人間だった場合の半陽鬼の出産は、母体が耐えられずにね……死んでしまう事が多いんだ」
声を落とし、雪花を気遣いながら夕鶴は言う。その言葉に、腕の中の雪花をはっとして見つめた。
(この子は、お母さんを知らないんだ…)
母親を殺して生まれる鬼の子を、忌子と呼ぶ。
元々日本と言う国は血の穢れに敏感だ。女性の毎月の月経すらも不浄で、それ故に女性は皆、死後必ず血の池地獄に落ちるのだと信じられていたようなお国柄だ。血に穢れ、母親の死に穢れて生まれた子を「忌子」とする悪習がここでは引き継がれているのだろう。
しかし一概に酷いと言うのは憚られ、香夜はきゅっと唇を噛む。
「そう、なんだ……」