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第5章 忍び寄る影

薄暗い格子窓の続く廊下は、しんと静まり返っている。

時刻は夜明け前。

一夜の夢を愉しんだ殆どの客達が、遊女を抱いたまま束の間の眠りへと落ちていく時間帯だ。提灯に灯る赤い火も残りわずかとなり、硝子一枚隔てた暗闇をぼんやりと照らす。外の空気が僅かに煙って見えるのは、霧が出ているからだろう。幽世の昼夜の寒暖差は、現世のそれよりやや大きい。

一人ぺたぺたと裸足で廊下を歩く須王は、格子窓に映る疲れた表情の自分の顔に一つ溜め息を零した。自慢の燃えるような赤い髪も、今は精気を失くしたように心成しかくすんで見える。
遊郭の楼主という立場は、女を囲って酒を飲み、遊んでいるだけの楽な仕事と思われがちだが、その実意外にも忙しい。実際に表立って店の運行を取り仕切るのは番頭だが、その下にも大勢が働いている。
稼手の遊女は勿論、その世話役の禿、門前で客の呼び込み担当の妓夫(ぎゆう)、ツケを回収する掛け回し、廓内の取り締まりをする亡八(くつわ)、料理番に風呂番に不寝番、その他掃除等の雑用は中郎。細々と定められた役割が遊郭で働く者達全てに与えられている。そこから毎日飽きもせずに上がってくる様々な案件の中で、楼主にしか出来ない判断と指示を下すのが須王の仕事だ。自然、「営業中」である夜が仕事の時間となる事が多い。普段は客を一通り捌いた後、特に何も問題が無ければ速やかに番頭に店の進行を任せ、自室に下がってしまうのが常だ。だが今夜は、とかく問題が良く起きる日だった。
店先で客同士が互いの目的の遊女で争っただの、掛けの効かない一見客が花代を踏み倒しただの、遊女同士が殴り合いの喧嘩をしただの…実際に須王が出なければならないような大事では無いにしろ、絶え間なく無く上がって来る事故報告に疲労の度合いはかなり高い。それに加えて九泉楼の楼主には幽世の主としての仕事もある。終わりの見えないそれらの処理に追われ、気が付けばこんな夜明け間近。

なんだか随分と身体が重い。ついでに頭も痛い。こんな日は早く自室に戻り、寝てしまうに限る。須王はふらつく身体を引きずりながら廊下を進み、いつくかの曲がり角を曲がって辿りついた先で襖の前に立った。そしてはたと気付く。


「…………」


俺は一体、どうしてこんな場所に。