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鬼の哭く沼
第5章 忍び寄る影
美しい牡丹が描かれた襖。これは須王の自室では、無い。
正確には自室の一つではあるが、日頃寝室としている部屋ではなくつい最近一人の女に与えた部屋だ。
休みたい、と身体が休養を欲しているのにも関わらず足が勝手に赴いた先を認識し、須王は静かに焦る。だが、今から身を返して自室に戻るのも億劫だ。
一つ、諦めにも似た吐息を漏らして口を開く。
「……青火。ご苦労だったな」
須王の声に反応したのは襖の横に置かれた行灯だ。ぼぼっ、と炎が音を立てて揺れ、赤かったその色が青く色変わりする。そしてそのままふわりと浮かび上がった。黄みを帯びた青い炎の真ん中には一つ、ぎょろりと大きな目。それが労いの言葉に嬉しそうにぱちりと一度瞬く。そのまま何度か炎を揺らめかせ、ぼっ、ぼぼっ、と大きくなったり小さくなったりしながら懸命に須王へ何かを報告するとまた最後にぱちりと瞬きして大人しくなった。
この妖の名は青火。本物の火に紛れて人家で燃え、暖を取ろうと寄って来る生き物から逆に熱と精気を奪う妖火だ。ここ九泉楼では須王の目として、広い遊郭のあちこちに潜んでいる。
「そうか。もう、下がって良い」
言われて青い炎…青火はくるりと回る。香夜にも一匹、ここへ来た当初から青火を付けている。主に逃亡防止の為だったが、今のところ己の立場を理解しているのか香夜が九泉楼から逃げ出そうとする気配は無い。今夜も特に異常なしという報告を須王にした青火は、ゆらゆらと炎を揺らしながら廊下の奥へと飛んで消えていった。
光源の無くなった廊下で、襖に手をかける。そっと両手で開け、室内に入った。部屋の左右にある灯心を絞られた行灯の薄明かりの中、足音を立てないように目的のものへと近づいていく。
中央からややずれた隅の方に、遠慮するように敷かれた布団。こんもりと小さく膨らんだそれの中身は、小さく丸まって静かな寝息を立てていた。
「……香夜」
掠れた囁き声で名を呼ぶも、当然答えは無い。引き寄せられるように、厚く盛られた布団の脇に腰を降ろして顔を覗き込む。しっかりと閉じられた瞼と、微かに開いた唇。その隙間から洩れる呼気は花のように甘い香りがして、須王はそっと指先を伸ばし薄桃色の唇に触れる。柔らかい肉の感触。爪の先で縁をなぞるようにすると「んっ」と鼻にかかった声が漏れて香夜が身じろぐ。