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鬼の哭く沼
第5章 忍び寄る影
(今朝だって…)
来ないものと思い一人で眠った筈なのに、朝起きれば隣に須王がいた。驚く香夜の傷の残る右頬にそっと触れ、「痛むか」と尋ねた声音は酷く穏やかで優しかったように思う。
帰りたいのならば、好きになってなどいけないのに。
もやもやとした感情を胸に抱えたまま視線を向けた先で、須王に爪をチラつかされたガマ福があわあわと背に担いだ木箱の中から何やら白い容器を取り出す。それを見た九繰がひょい、と興味深そうに尾を揺らした。
「ほう、蝦蟇の油じゃ」
「蝦蟇の油…?」
効き慣れない言葉に首を傾げつつ描き終わった紙を双子に渡せば、二人は嬉しそうに不細工な「猫」を真似て絵を描き始める。微笑ましい双子の姿を眺めつつ香夜は顔を顰める。蝦蟇の油、という言葉の響きからはあまり良いイメージは湧かない。そんな様子を察した九繰が、にんまりと唇の端を吊り上げた。
「左様。貴重な薬なんじゃが…香夜や、あれをどうやって精製するか、知っておるかの?」
「…知らない、って言うか知りたくない」
「遠慮するな、まあ後学の為に聞くが良い。蝦蟇をの、四方が鏡張りの箱で覆うと己のあまりの醜さに冷や汗を掻きよる。それを三日三晩続けるんじゃ」
知りたくないと言ったのに。
香夜の言葉を遮り、嬉々として精製方法を語り出す。
「溢れた冷や汗を集めて煮詰め、どろどろになるまで水分を飛ばした後、薬草と合わせ煎じた物を蝦蟇の油と言うてな。それを身体に塗られるとたちまち肌が褐色になり……」
「…褐色、になって?」
「それはそれは巨大な蝦蟇に変化するのじゃ」
「…………」
想像してぞわりと鳥肌の立った腕を擦れば、その右腕をぐっと強引に引かれた。見上げると、先程の白い容器を手に須王が立っている。嫌な予感がして腕を引くがびくともしない。
「ちょ、何する気……」
「うるさい黙れ。じっとしていろ」
そう言って容器の中身を指で掬い、香夜の顔に近付ける。目的を察して、慌てて右頬を隠して後退った。たった今怖ろしい効能を聞かされた薬を、何故自分に。
「やめてって…それは嫌!だってそれ蝦蟇の油でしょ?!」
「そうだ、だから今塗ってやろうと…」
「無理!」
「何がだ」
「何って、蛙の油とか生理的に…ちょっと須王!本当に嫌だって、やめ……」
「ええい、暴れるな」