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鬼の哭く沼
第5章 忍び寄る影
ぎろり、と眼光鋭く睨まれた。先程よりもまた一段と機嫌が悪い。人の一人や二人、喰らっていそうな形相だ。これはまずい。へらりとした笑みを貼り付け、握られた腕を軽く振ってみる。
「あの、もし良ければ手を離して貰えないかな…なんて…っ、い…たっ…!」
ぎり、っと掴まれた腕に力が込められて香夜は悲鳴を上げた。腕を引き千切るつもりか。
上がった悲鳴にハッとしたように須王が手を離す。ようやく自由になった手首には、くっきりと赤い指の痕が痛々しく残っている。
眉を寄せ、手首を押さえる香夜の姿に須王は唇を噛み、逡巡する素振りを見せた。そして今度は大きな手でそっと香夜の手を包み込むように掴み、無骨な指先で赤い指の痕をぎこちなく撫でた。
気遣うようなその仕草に一つ、心臓が跳ねる。見上げれば、飾り紐と同じ青を帯びた深い赤の瞳がじっと指の痕の残る手首に視線を注いでいる。
(………?)
「あの…」
「………」
「…ねえ、ちょっと」
「……名を…」
「え…?」
「…いや、何でもない」
何だかいつもと様子が違う。一体どうしたというのか。
「でもッ……ん、」
不審に思い、尚も問おうと開いた唇を強引に塞がれて声が途切れる。熱い唇の感触。艶めいた赤い髪が目の前で揺れている。すぐに分厚い舌が、唇を割って口腔を犯しに侵入してくる筈。そして執拗な口づけが始まるのだ。
だが、香夜の予想とは裏腹に唇は呆気なく離れてしまった。
「………は……」
ごく小さな音を立てて離れた唇の熱が、外気に触れてすぐに霧散する。それが寂しくて、思わず掴んでいた須王の着物の布地を引っ張る。これではまるで口づけを強請っているみたいだ。そう気付いて内心慌てふためく香夜の頭上から、ややあってふっと笑う気配が落ちる。
「どうした…物足りないか。随分と物欲しそうな顔をしているな」
「そ……な、事…!」
無い、とは言いきれなかった。