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鬼の哭く沼
第2章 宵ヶ沼
「ぅ…げほ、ごほっ!」
「忙しい奴だな。これを飲め」
ずい、と声と共に差し出された湯呑を深く考えもせずに受け取り、一気に飲み干す。湯呑の中身は人肌に温められた白湯で、ヒリつく喉に甘く滲みていった。
「ごほっ…」
「落ち着いたか」
呆れた様な声が頭上から降る。
どさりと横に腰を降ろした声の主に頷き、顔を上げた香夜は言葉を失った。ぽかんと、開いた口が塞がらない。
それ程に、目の前の人物は奇妙な姿をしていた。
傍らに男が一人、胡坐をかいている。
座っていてもそうと分かる程、随分と長身の逞しい男だ。
煌めく糸で刺繍された豪奢な黒い着物の上半身を腰まで丸ごと肌蹴させ、見事な腹筋を惜しげもなく晒している。肌は褐色に近い小麦色。その肌を背まで覆うのは、癖のある燃えるように真っ赤な髪だ。意志の強そうな眉の下の瞳は濃い色をしていて、鼻筋は高くすんなりと通りその下には形の良い薄い唇がある。
男が身に纏う色は極めて鮮やか。そして相当な美丈夫。
絵巻物の中からでも現れたような外見はただそれだけでも十分に異質だというのに、この男を最も奇妙たらしめているものがもう一つあった。
頭部の両脇にそれぞれ一本ずつ、捩れながらつんと伸びる黒い角。
男の頭には、どこからどう見ても角にしか見えないものが生えているのだ。
「白湯は」
「あ……もう、」
要りません、と答える間も無く取り上げられた湯呑をはっとして見送る。小さな湯呑に不釣り合いな程大きな、ごつごつした手には鋭く黒い爪。
まるで猛獣の爪だ。人の身体なぞ紙のように容易に裂けるに違いない。
まじまじと見つめる視線に気づいた男が、にやりと口元を歪める。
「鬼が珍しいか」
「そうです、ね…鬼……。…え、鬼?」
ああそうか、だから角が。爪が。納得しかけた寝起きの脳がはたと思考を止める。今、この男は何と言った?
香夜の百面相を愉快そうに眺め、男はくつくつと喉を鳴らす。
「あ、あの…鬼って…」
「言葉の通りだ。俺は酒吞童子。名前くらいは聞いた事があるだろう」