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鬼の哭く沼
第5章 忍び寄る影
筈、だ?
何故、筈、なのだろう。
『仲の良い事よのう』
先程の九繰の言葉を思い出して、ぶんぶんと乱暴に首を振る。風花が今朝方綺麗に結ってくれた髪がぼさぼさと乱れるのも構わずに。
(そんな、事)
仲が良い、だなんて。
自分を強制的に愛人だと言い張り、囲い、半監禁のような生活を強いている鬼相手に、仲が良いだなんて見当外れもいいところの感想だ。
嫌って、憎んで、罵ってしかるべき相手なのだ。事実、ここへ来た時の自分はあの鬼が嫌いだった。
(ほら、また)
嫌い、だった。過去形。
嫌いたい。気にしてはいけない。
だのに、それが出来ない…出来なくなってきている。これはまずい兆候だと自覚しているからこそ、こうして何度も自身に言い聞かせるのかもしれない。
広い部屋で、一人眠る夜に家を思って何度泣いただろう。何度家に帰る夢を見て、自分の泣き声で目を覚ましただろう。心細くて、寂しくて、恐ろしくて。夜が怖くて仕方無かった。気丈に振舞っていても、行灯の火を落とすとふいに込み上げる胸の痛みは双子の愛らしさだけでは癒されず。
慣れぬ香の漂う寝具に、顔を押しつけて、声を殺して泣いた。
けれどそれもやがて落ち着き、夜を迎える事が恐いとは思わなくなった。それもこれも、気付けば自分を抱いて朝を迎える腕が隣にあったからだ。寝る間際には無かったのに、泣き疲れて眠りに落ちると決まって寄り添うように自分を抱く腕だ。硬くて逞しい、温かな腕。こちらが気付いてはいない、完全に眠っていると思っているのか…それはいつも、躊躇いがちに優しく頬を撫でる。一度、あまりに慎重なそれが擽ったくてふと笑ってしまった事があった。指は慌てたように離れ…けれど反応を伺いながらもまた頬やら唇やらに触れてくる様子がなんだかおかしくて、でも不思議と嫌だとは思わなかった。
起きていれば横柄で、乱暴で、強引で、口汚い嫌なヤツなのに。
情に絆される、とはこういう事なのだろうか。