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鬼の哭く沼
第5章 忍び寄る影
不躾に、まじまじと全身を観察する香夜の視線にくすっと笑うと、男は右手で懐をまさぐって何やら小さな巾着を取り出した。そしてそのまま器用に片手で巾着を開き中身をつまむと、おもむろに香夜の口に指を押し込む。
拒絶する間も無く、むぐ、と押し込まれたものを噛んでしまった香夜は口内に広がる懐かしい甘味に目を僅か見開いた。
「何を、っ……え、これ…金平糖…?」
かり、と小さな音を立てて小粒の砂糖菓子が砕け、舌の上で溶けていく。上品な黒糖の甘味が広がって、一つ目を飲み下すと見計らったように次の金平糖が差し出される。
「さあ、お食べ。険しい顔してちゃ、可愛い顔が台無しだからねえ。お菓子でも食べて、笑ってごらんよ。その方がずっと素敵だから」
見た目に違わず、うすら寒くなる様な軟派な台詞をさらりと吐いて、トドメとばかりに片眼を瞑ってみせる。これがまた、憎らしい程この男に似合っていて思わず小さく笑ってしまった。ありがとうございます、と礼を言って、男の手から金平糖を受け取る。素直にそれを口に含む香夜に目を細め、男は嬉しそうに頷く。
「そうそう、そうして笑っておいで。女の子は笑顔が花だ。ああ、それとも恋をしている女の子の笑顔は、かな」
「はあ?!こ、恋って…!」
「おや、違うの?」
「違います!!」
上擦った声を上げる香夜に、ふふ、と笑う顔はどこか少年のようなあどけなささえ感じられる。それは残念、とまるで口笛でも吹きそうな口調で男は階下を見下ろした。釣られて視線を下げる。低木にっびっしりと咲き誇る、黄色い花。あんなにも大量に咲いているのに、不思議と香りは、無い。
「あの花の名前を知ってる?」
「花…?下の、いっぱい咲いてる黄色い花ですか?」
「うん、そう。八重の木香薔薇。花言葉は初恋」
「初恋…」
花言葉に有りがちな、恥ずかしいくらい真っ直ぐな単語だ。突然の言葉に、意味を図りかねて傍らを見上げると男は口元に笑みを刻んだまま、続けた。