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透明なリーシュに結ばれて
第13章 desertion
学習塾のバイトを終えて僕は帰り道についていた。受験が近づいているせいか、近頃は「先生って東大出てないのに教えられるの?」というガキ……ではなく生徒さんからの皮肉も聞かなくなった。それどころか、彼らは僕の授業を真剣に(少なくとも僕にはそう感じる)聴いている。一言も聴き漏らすまいという彼らの姿勢が逆に怖い。
嫌味をずっと言われ続けてきたが、それでも僕は彼ら全員が志望中学に合格することを願っている。最後は神頼みではないが、年が明けたら彼ら全員の合格を祈願するために某神社を参拝する予定だ(効き目のほどはわからない。神様、御免なさい)。
そんなことより(生徒諸君、御免)十一月も半ばを過ぎた東京はぐんと冷え込んできた。道行く人たちを見ればそれなりに防寒の対策をした格好で歩いている。僕はと言えば、シャツにジャケットという服装。いよいよジャケットの上にライトダウンを羽織らなければならない季節になった。風邪で寝込むなんて真っ平御免だ(それに定期的にマスコミに取り上げられるあの病にだけはなりたくない)。
でも僕はこの季節が好きだ。どういうわけか寒くなると街が綺麗にライトアップされていく。ピリピリと肌を刺すような寒さに体を縮こまらせて震えても、何だか心だけは温まっていくような気がするからだ。
駅に到着。ジャケットの内ポケットからスマホを取り出したそのときだった。
「坂口君。君、坂口君だよね」
僕の真後ろから聞き覚えのない男の声がした。その声は確かに坂口君と言っていた。確かにこの世の中坂口なんて名前の人間は穿いて捨てるほどいるだろう。だが、この状況で坂口君は、おそらく僕一人だと思う。
「……」
後ろを振り返る。
「背が高いんですぐにわかったよ」
「失礼ですがどちら様ですか?」
僕は僕を呼び留めた身長が百七十㎝くらいの細身の男にそう訊ねた。
平凡なビジネスバックを手に捧げているその男のは五十くらいに見えた。男は眼鏡をかけて薄くなり始めた髪をオールバックにしていた。髪を整えている整髪料は間違いなく五十男が使うものだろう。中年男御用達の整髪料を僕もいつの日かつけるのかと思うと何だか心が重くなった。
「急に呼び止めて申し訳ない。あっ、君に謝る必要なんて私にはなかったか」
「……」
「名刺を持っていないので。下田と申します。下田陸男です」
時間と僕の心臓が止まった。
嫌味をずっと言われ続けてきたが、それでも僕は彼ら全員が志望中学に合格することを願っている。最後は神頼みではないが、年が明けたら彼ら全員の合格を祈願するために某神社を参拝する予定だ(効き目のほどはわからない。神様、御免なさい)。
そんなことより(生徒諸君、御免)十一月も半ばを過ぎた東京はぐんと冷え込んできた。道行く人たちを見ればそれなりに防寒の対策をした格好で歩いている。僕はと言えば、シャツにジャケットという服装。いよいよジャケットの上にライトダウンを羽織らなければならない季節になった。風邪で寝込むなんて真っ平御免だ(それに定期的にマスコミに取り上げられるあの病にだけはなりたくない)。
でも僕はこの季節が好きだ。どういうわけか寒くなると街が綺麗にライトアップされていく。ピリピリと肌を刺すような寒さに体を縮こまらせて震えても、何だか心だけは温まっていくような気がするからだ。
駅に到着。ジャケットの内ポケットからスマホを取り出したそのときだった。
「坂口君。君、坂口君だよね」
僕の真後ろから聞き覚えのない男の声がした。その声は確かに坂口君と言っていた。確かにこの世の中坂口なんて名前の人間は穿いて捨てるほどいるだろう。だが、この状況で坂口君は、おそらく僕一人だと思う。
「……」
後ろを振り返る。
「背が高いんですぐにわかったよ」
「失礼ですがどちら様ですか?」
僕は僕を呼び留めた身長が百七十㎝くらいの細身の男にそう訊ねた。
平凡なビジネスバックを手に捧げているその男のは五十くらいに見えた。男は眼鏡をかけて薄くなり始めた髪をオールバックにしていた。髪を整えている整髪料は間違いなく五十男が使うものだろう。中年男御用達の整髪料を僕もいつの日かつけるのかと思うと何だか心が重くなった。
「急に呼び止めて申し訳ない。あっ、君に謝る必要なんて私にはなかったか」
「……」
「名刺を持っていないので。下田と申します。下田陸男です」
時間と僕の心臓が止まった。