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海鳴り
第9章 夕凪
武の事を思えば、相沢への自分の気持ちなど何程のものだろうか

どれだけ母親に抱き締めて欲しいだろう

母親が傍にいれば、海鳴りがどんなに恐ろしくても祖母の家に行かずにすむ

父親が漁に出た後、一人で起き出さなくても母親が起こして学校へ送り出してくれる

一人で泣いた夜が、朝が何度もあった筈だ


律子は教室への階段を上りながら、『僕、男だから』と言う武のいじらしい言葉を思い出し胸が熱くなった。



何も出来ない

何もしてやれない

でも
いなくなる事はできる



律子は何度も自分に言い聞かせ、この気持ちのまま、相沢に逢わずに消えてしまいたいと思った。

できれば今日のケンカの事も、武に頼まれた通り黙っていたい。
逢えば冷静でいられる自信がない。

今でさえその胸に飛び込んでしまいたいというのに。



「あ、先生が来た!」
「早く早く」
「律子先生だ、シィ~ッ…」


バタバタと慌てて椅子に座る音がする。

律子が教卓の前で子供達を眺め、すまし顔で言う。


「ちゃんと静かに自習できたのね、偉いわ。
それでは、これから算数の小テストをします」

「えぇーっ」
「いやだー」
「わーヤバい」


教え子達の明るさに、沈みかけた気持ちが救われた。




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