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エンドレスサマー
第6章 ステージ脇の暗い部屋
「……」
 私は美香の意味深な笑いに息を呑んだ。美香が次に何を話し出すのか怖かった。教師として男として。
「博士、今日補習が終わったら一時にまた学校に来れる?」
「ああ、でも暖房切られているぞ」
「暖房なんて関係なし。大丈夫?」
「構わない」
「じゃあ一時、この教室で待ってて」
「わかった」
 訊かなければよかったと後悔している。たとえ挑発されて、ついついそれにのったとしても、「お前バージンなのか」なんて中学三年生の女の子に訊ねるべきことではない。
 九時を回ると補習授業にやって来る生徒がぽつぽつ増えてきた。そしてこういう日に限って四十席がすべて埋まった。質問も増える。いつもなら数学のことを考えている時は、他のことなど全く気にならないのだが、今日は心が一つに定まらない。不安、動揺、……期待? いやそれはない。とにかくいろいろな感情が混ざり合って落ち着かない。
 何度も腕時計を見てしまう。あと二時間、あと一時間、あと三十分。デジタル時計の数字ばかりに気を取られてしまう。
 ようやく? とうとう? 十二時になった。「質問がなければ補習授業は終わりだ。寒いから風邪などひかないように、車に気を付けて帰りなさい」と私は生徒たちに向かって言った。
 授業中、私は意識して美香に目をやることを避けた。おそらく美香も同様だと思う。美香は誰かが教室に入ると、もう一人の美香になる。互いにそうしようと話し合ったわけではないが、些細なことすら噂のネタになる。その危険を排除するために行動は自ずと慎重になった。
 いつもなら生徒を返した後、どこかで昼食を取り私も帰宅するのだが、私は約束の一時まで教室で窓の外を眺めぼんやりすることに決めた。窓の外は眺められても、心はざわついた。美香から何を聞かされるのか? そのことで頭はいっぱいだった。
 十二時半教室の戸が開いた。
「やっぱり」
 美香は私を見てそう言った。
「やっぱり……、とは?」
「博士はどこかに出かけるような人じゃないもん」
「どういう意味だ?」
「つまり……家に帰っても誰も待っていない。で、彼女もいない。趣味もなさそうだし、……数学以外何もできない人ってこと。ごめんなさい」
「中らずと雖も遠からず、だな」
「それ、どういう意味?」
「当たっているよ」
「博士、何だか可哀そう」
「ははは」
 生徒に同情された。笑うしかなかった。
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