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あの海の果てまでも
第3章 新月の恋人たち 〜朱浩藍の告白〜
…そうして、ここに来たわけなのだけれど…。

浩藍は小さくため息を吐いた。

…僕はここで何をするんだろう…。
さっぱり思いつかない。
日本が恋しいわけでも、友人たちに会いたいわけでもない。
元々、学校にも通わず父親が手配した家庭教師に週に二度ほど勉強を教わっていた。
友だちと呼べる人間もいなかった。

母親は囲い者だったし、浩藍はその妾の子どもと言うことで、外部と接触するのはできる限り禁じられていた。
中国人と日本人との混血の浩藍にわざわざ仲良くしようとする物好きな者もいなかった。

たまさか母親に連れられて訪れる赤坂の置き屋が唯一の外出先だった。
…別に母親は、浩藍を外に連れ出す為に外出した訳ではない。

『ああもう。
あんなだだっ広い異人の館に一日中閉じ込められていたら頭がおかしくなっちまうよ。
旦那様はちっとも来てくれやしないし。
あたしはすっかり籠の鳥さ』
古巣の置き屋に上がり込み、女将相手に愚痴るのが母親の気晴らしだったからだ。
菊乃は仇っぽく着崩した友禅の着物の袖をぱたぱた振りながら煙管を吸い込んだ。

『そんなこと言って。
あんた、朱の旦那があんたを幾らで身請けしたのかを忘れちゃいないだろう?
…この赤坂界隈でも、あんな莫大な身請けを支払った旦那は初めてだって大騒ぎになったんだよ。
おまけに山下町に洒落た洋館まで建ててもらってさ。
…極め付けはあの子だよ。
あんな綺麗な子を、授かったんじゃないか。
文句を言ったらバチが当たるよ』
女将は窘めるように言い、帳場で大人しく絵草紙を開いている浩藍を感心したように見つめた。

『本当に綺麗な子だよ。
男の子にしとくには惜しいような別嬪さんだねえ』

『当たり前だよ。
あたしが産んだんだもん。
ね?藍?』
菊乃は浩藍の中国名を、呼びにくいと言って、いつも『藍』と呼んでいた。

『あんたはあたしの自慢の子どもさ。
きれいで賢い。おまけに何処なく神秘的で、度胸も座っている。
藍、いつかあたしを守ってね』

菊乃がにっこり笑いながら、わざと大袈裟に浩藍を抱きしめた。
…母からは、甘い白粉の薫りがした。

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