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あの海の果てまでも
第3章 新月の恋人たち 〜朱浩藍の告白〜
浩藍はふっとため息をついた。

…マーマ、今頃幸せに暮らしているかな…。 
それなら、いいんだけど。
浩藍はそう思う。
あまり母親らしいことはしてもらった記憶はないけれど、疎まれたり冷たくされたこともない。
どちらかと言うと、淡々とした姉のような母親だった。
物心ついてすぐに赤坂の置き屋に下地っ子として売られてきたという菊乃は母親の愛を知らなかったのだろう。
だから、浩藍をどう愛せば良いのか分からなかったのだ。
浩藍は、菊乃を恨む気にはなれなかった。

…それよりも…。
浩藍は同じ考えを巡らせる。

僕はこれからどうなるのかな…。

ここは父親の本宅だ。
本妻や、彼女が産んだ跡継ぎの長男が住んでいるのだ。

妾の子…しかも日本人との混血の自分が歓迎される訳がない。
それくらいは子どもの浩藍でも分かる。
じわりと不安が過ぎる。

…と、その時…。

柔らかな春風に乗って、澄んだ美しい弦楽の音色が聴こえてきた。

…あれは…バイオリン…?

思わず吸い寄せられるように立ち上がる。

…バイオリンは、浩藍の家庭教師の帝大生が聴かせてくれた。
浩藍が上海に渡る前日だ。

『…もう君には逢えないからね。寂しいな…。
お餞別になるか分からないけれど、一曲弾かせてくれ。
…元気でね…。
…僕は…君の幸せを祈っている…』
普段寡黙だった帝大生は珍しく饒舌に語り、浩藍を眩しげに見つめた。


…中庭の奥、石造りのシノワズリな意匠を凝らした回廊の先から、それ…バイオリンの音色は流れてくるようだった。

…綺麗な音楽…。
誰が弾いているのかな…。

浩藍は、美しいバイオリンの調べに誘われるように歩き出した。



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