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あの海の果てまでも
第3章 新月の恋人たち 〜朱浩藍の告白〜
『…君…名前は…?』
ぽつりと尋ねる。
船員は初めて浩藍から話しかけられたことに驚き、やや頬を紅潮させる。

『尊龍…ソン・ロンだ。
龍…ロンて呼ばれてる』

『…そう…。
…龍、座れば?
…僕は今夜はここを動くつもりはないから…』

船員…龍はぎこちなく浩藍の隣に腰を下ろした。
そうして、ぽつりぽつりと語りだした。
『…あんたの兄さんの佑炎さんは、すごく優しいひとだった。
俺が焼却炉の塵箱からノートを拾い上げて、こっそり勉強しているのを佑炎さんに見つかったことがあるんだ。
佑炎さんは叱るどころか、ある日俺をそっと呼び出して、新品のノートや鉛筆、自分のお下がりの教科書をくれたんだ。
そして、解らないことがあったらいつでも聞きにおいで…て。
声を掛けてくれたんだ』

…ああ、そうだ。
兄さんは、そういうひとだった。
誰にでも優しく、公平だった。
身分が低い者を馬鹿にしたり、横柄な態度を取ることなど一度もなかった。
改めて、兄の優しさ、温かさに触れ、胸が締め付けられる。

『…あんたのことは、教室の外…窓の下で、時々見ていた。
…あれは…英語の授業だったかな…。
あんたが教科書を音読する声が、外に聴こえてさ…。
…まるで、綺麗な音楽みたいな声だった。
世の中に、こんなに綺麗な言葉があるのかな…て。
ちょっと信じられなかった…』
龍はそう言うと、照れたようにそっぽを向いた。

浩藍はぼんやりと、自分に好意を寄せてくれているらしい少年の貌を見つめる。
…浅黒い凛々しい貌立ちだった。

…同じ学校に…居たんだ…。

『…学校か…。
遠い昔のことみたいだ…』
ぽつりと呟く。
…もう、それ以上のことは今は考えられないのだ。

黙り込んだ浩藍に、龍は白い布包みを再び差し出す。
『食えよ。チャーシューパオだ。
まだあったかくて美味いぜ』
浩藍は力なく首を振る。
『…いらない…』

龍は困ったように眉を寄せ…やがて何か思いついたかのようにごそごそと上着の隠しを探り、ハトロン紙に包まれたものを差し出した。

『これなら食えるだろ』

浩藍は物憂げに見遣る。
…微かに甘い果実の香りが漂ってきた。

『山査子の飴掛けだ。
甘くて美味いぞ。
市場で買ったばかりだ。
英国に行ったら、もう食えないからな』






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