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妹やその友達と、いろいろあったアノ夏のコト
第9章 文水の事情
◆◆◆視点・岸本涼一◆◆◆
「今は、よそう」
高坂さんの振り上げられた右手を掴んだのは、たぶん咄嗟のことだったと思う。だけど――
「管理人さん?」
そう言って俺の方をみた彼女の瞳に、今にも零れそうな涙の滴を認めた時には、やはり止めるべきだったのだと確信している。
「もう少し、堪えていて」
「……?」
――怒りも、その涙も。
そんな気持ちで向けた視線を、高坂さんが察してくれたかどうかは不明だ。けれど、彼女は右手を収め、とりあえず席に座り直してくれた。
それでいい、と思う。それで代わりに、この俺になにがしてあげられるかどうかなんて、正直わからない。それでも今、目の前に佇む男に対して、高坂文水の真っ直ぐな怒りも、ましてや涙を見せるなんてもったいなさ過ぎると、俺には思えてならなかった。
それだけの価値は、この木村という男には断じてない。これだけは言い切れる。寸分の迷いもなく。だが一方では、こうも思うのだ。
俺は今日、高坂さんから過去の話のあらましを聞いた。そして彼女に同行し、こうして因縁の男を前にして、更に二人のやり取りを目の当たりにしている。彼女がこの木村という男に対して、怒りをぶつけるのは当然の権利だと。
だがそれでも、この男に対しては、真っ直ぐな感情だけでは、たぶん響くことはない。『暖簾に腕押し』とか『糠に釘』いう諺があるけど、この場合は張り合いがないだけでは済まない。既に深く傷つけられた心を、その無神経さで更に深く抉られかねないのだ。