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千一夜
第11章 第三夜 春の雪 ①
何かの冗談だ。春の山でホワイトアウトを経験するなんて、そんなことあるはずがない。いや、あってはならない。
気象予報士の資格を持っている草加は、登山の直前まで何度も天気図を確認した。スマホのアプリでもこの山の天気を確かめた。これだけ荒れるなんて予報は聞いていないし見てもいない。
残雪の山を楽しみたい。ひと月前、草加はそう思って二泊三日の登山計画をたてた。故郷の山、五年ぶりの○○岳から○○山までの縦走。決して無理なプランではない。
二つの山は子供のころから父と一緒に登っていた。高校、大学では登山部に入りたっぷりと山登りのスキルを身に着けてきた。シーズンが夏だったらこのコースは一泊二日でもおつりがくる。だからと言って山をなめたことなど今までに一度もない。すべてが予想外だったのだ。
山の怖さを教えてくれたのは草加の父だ。たとえ低山であっても気を抜くな。落とし穴はそこら中にある。落とし穴は身を潜め、人間が罠にはまるのをじっと待っている。草加は父から何度もそう教わった。
父のその言葉を忘れたことなど一度もない。それでも草加は亡き父に問いたかった。どうすればよかったんだと。そしてこれからどうすればいいのかと。
草加がぐるりと三百六十度見回してもすべてが白。空を見上げると、灰色の空から休みなく白い雪が降り続いている。辛うじて上を向けば、それが空だということがわかる。
状況は一向によくならない。それどころか一秒一秒悪くなっていく。草加が左手首に巻いているデジタル時計に目をやると、数字は15:13となっていた。下山などもうできない時刻だ。いやそもそも下山を考えること自体が間違っている。
この先待ち構えているのは闇の世界だ。暗闇の中を歩く登山者なんてこの世にはいない。闇の中を歩くということは彷徨うということだ。それは死を意味する。絶望が草加を襲う。
大きく深呼吸してみる。まずい、と草加は思った。大きく息を吸ったつもりだが、肺に送られた空気はわずかだ。腹が減っているはずなのに何かを食べたいという気にならない。水を飲むために水筒に手をやることすら草加は億劫になってきた。
低体温症だ、そう気づいたとき、すでに草加の中には力というものが存在していなかった。ザックが重い。いや、ザックだけでなく自分の体も重い。
気象予報士の資格を持っている草加は、登山の直前まで何度も天気図を確認した。スマホのアプリでもこの山の天気を確かめた。これだけ荒れるなんて予報は聞いていないし見てもいない。
残雪の山を楽しみたい。ひと月前、草加はそう思って二泊三日の登山計画をたてた。故郷の山、五年ぶりの○○岳から○○山までの縦走。決して無理なプランではない。
二つの山は子供のころから父と一緒に登っていた。高校、大学では登山部に入りたっぷりと山登りのスキルを身に着けてきた。シーズンが夏だったらこのコースは一泊二日でもおつりがくる。だからと言って山をなめたことなど今までに一度もない。すべてが予想外だったのだ。
山の怖さを教えてくれたのは草加の父だ。たとえ低山であっても気を抜くな。落とし穴はそこら中にある。落とし穴は身を潜め、人間が罠にはまるのをじっと待っている。草加は父から何度もそう教わった。
父のその言葉を忘れたことなど一度もない。それでも草加は亡き父に問いたかった。どうすればよかったんだと。そしてこれからどうすればいいのかと。
草加がぐるりと三百六十度見回してもすべてが白。空を見上げると、灰色の空から休みなく白い雪が降り続いている。辛うじて上を向けば、それが空だということがわかる。
状況は一向によくならない。それどころか一秒一秒悪くなっていく。草加が左手首に巻いているデジタル時計に目をやると、数字は15:13となっていた。下山などもうできない時刻だ。いやそもそも下山を考えること自体が間違っている。
この先待ち構えているのは闇の世界だ。暗闇の中を歩く登山者なんてこの世にはいない。闇の中を歩くということは彷徨うということだ。それは死を意味する。絶望が草加を襲う。
大きく深呼吸してみる。まずい、と草加は思った。大きく息を吸ったつもりだが、肺に送られた空気はわずかだ。腹が減っているはずなのに何かを食べたいという気にならない。水を飲むために水筒に手をやることすら草加は億劫になってきた。
低体温症だ、そう気づいたとき、すでに草加の中には力というものが存在していなかった。ザックが重い。いや、ザックだけでなく自分の体も重い。