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千一夜
第12章 第三夜 春の雪 ②
 避難小屋の入り口。草加はそこで立ち上がった。戸を開ける。まさか開かない? そんなことはないはずだ、ここは避難小屋なのだ。それでも戸は重かった。戸が開いた。中に溜まっていた暖気が草加を目掛けて突進してきた。草加のサングラスが一気に曇る。中の様子がうまくつかめない。中には誰かいるはずだ。そうでなければ避難小屋の中がこれだけ暖かいなんてことはない。
「すみません、よろしくお願いします」
 草加は誰かにそう言って、避難小屋を温めている元に向かった。薪ストーブだった。草加はザックを下ろすことも忘れて、オーバーグローブを付けたまま手をストーブにかざした。草加の体中から湯気がたった。助かったと草加は思った。荒かった草加の息がだんだん整っていく。
 今自分がいる場所がこの避難小屋の中でベストポジションになる。こういうところは譲り合うのが原則だが、草加は今しばらくこの場所で温まりたかった。この避難小屋に誰がいるのかはわからないが、自分の様子を見てもらえればわかってもらえるだろう、そう草加は思った。
 五分……十分。体の震えはおさまった。そこで草加はようやくザックを下ろした。背中に重さを感じなくなると、さらに草加はリラックスできた。大きく息を吸って深呼吸をする。それは当たり前の深呼吸だった。戻った。悪い状況から戻ることができた。草加は感謝した。
 時間は三十分くらい経ったであろうか、体も心も落ち着いた。草加は状況を確認するためにぐるりと首を回して薄暗い小屋の中の様子を探ってみた。広さは十畳か十二畳、もう少し広いかもしれない。二階はなく、草加の後ろが板間になっている。体をもう少し温めて何かを食べたら板間に寝袋を敷いて休もう、草加はそう思った。
 いや待て、自分は何か大事なことを忘れている。それは……そうだ、この小屋の中には自分以外に誰かがいるはずなんだ。草加はもう一度、今度はじっくり薄暗い小屋の隅から隅まで見回した。いない、誰もいない。でも、確認していないところが一か所だけある。それは自分の真後ろ。草加は体を回して後ろを見た。
「こんにちは」
 草加の目が、そう挨拶してくれた人間の目と合った。大きな目をしていた。白いニット帽を被っている。ピンク色のアウターシェルを着たその女は板間に腰かけ、ずっと草加を見ていたのだ。
「すみません、独り占めしてしまって」
 草加は頭を下げて謝った。
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