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千一夜
第24章 第四夜 線状降水帯 ⑧

「……」
「そして芝居作りのプロは気付いた。自分が器用じゃないということをな」
「つまり芝居作りと経営は両立することができないということ?」
「そう、その通り」
「……」
伊藤の話はまだ終わっていない。裕子は黙って伊藤の次の言葉を待った。
「ありがたいことに僕の会社には才能溢れる若者がたくさんいる。そういうやつらが僕の知らない分野を開拓して、しっかりと結果を残しているんだ。そいつらの無限の才能に目を瞑ることはできない。そんなことしたら僕の会社の大損失だよ。やつらが好きなようにできる場所を作ってやる。不器用な経営者だがそのくらいのことはわかる。悲しいかなそれがわかったんだ。引き際なんだよ。現場を若い奴らに託すこともプロの仕事だろ。自分を誤魔化して現場に居続けようとするのはもはやプロではない。今風に言えば老害だよ」
伊藤はそこで話を止めた。
「何だか切ない話ね」
「切ないが、それが現実というものだ」
「後悔はないの? 未練とか」
「ある。だから僕はまたいつか芝居を作る。七十くらいになったら自分の劇団を作って、本を書いて、演出をして、稽古をして、それから全国を回る。僕が元気だったらという前提だが」
「ねぇ、稽古のとき演者さんを怒鳴っちゃだめよ」
「そこが問題なんだ。僕は僕の芝居のために自分を曲げるなんてことはできない。そんなことをしたら芝居に関わる多くの人を冒涜するような気がしてさ」
「それも伊藤君の引退理由の一つかな」
「多分……妙な時代だよ」
「伊藤君のその台詞、パワハラを肯定してるように聞こえるわ。公の場では」
「もちろん言わないさ。橘だから言えるんだ」
そう言って伊藤は天井の一点に目をやった。
「伊藤君」
天井を見ている伊藤に裕子は呼び掛けた。
「うん?」
「上場したら伊藤君は筆頭株主になるわ」
「……」
だから、と伊藤は言おうとしたが止めた。財務のプロの話を伊藤は待った。
「おそらく伊藤君は上場した瞬間、株式だけで1千億円近い資産を手に入れることになるわ」
「金の話はよしてくれ」
「お金の話なんかじゃないわ。立場と責任の話」
「立場と責任?」
「そう、立場と責任」
「僕は会社から出ていくんだ。社外取締役にもなるつもりはない」
「伊藤君、世間はそう甘くないの。特にお金の話となると伊藤君のファンも突如鬼になるのよ」
「鬼?」
「そう、鬼」
「そして芝居作りのプロは気付いた。自分が器用じゃないということをな」
「つまり芝居作りと経営は両立することができないということ?」
「そう、その通り」
「……」
伊藤の話はまだ終わっていない。裕子は黙って伊藤の次の言葉を待った。
「ありがたいことに僕の会社には才能溢れる若者がたくさんいる。そういうやつらが僕の知らない分野を開拓して、しっかりと結果を残しているんだ。そいつらの無限の才能に目を瞑ることはできない。そんなことしたら僕の会社の大損失だよ。やつらが好きなようにできる場所を作ってやる。不器用な経営者だがそのくらいのことはわかる。悲しいかなそれがわかったんだ。引き際なんだよ。現場を若い奴らに託すこともプロの仕事だろ。自分を誤魔化して現場に居続けようとするのはもはやプロではない。今風に言えば老害だよ」
伊藤はそこで話を止めた。
「何だか切ない話ね」
「切ないが、それが現実というものだ」
「後悔はないの? 未練とか」
「ある。だから僕はまたいつか芝居を作る。七十くらいになったら自分の劇団を作って、本を書いて、演出をして、稽古をして、それから全国を回る。僕が元気だったらという前提だが」
「ねぇ、稽古のとき演者さんを怒鳴っちゃだめよ」
「そこが問題なんだ。僕は僕の芝居のために自分を曲げるなんてことはできない。そんなことをしたら芝居に関わる多くの人を冒涜するような気がしてさ」
「それも伊藤君の引退理由の一つかな」
「多分……妙な時代だよ」
「伊藤君のその台詞、パワハラを肯定してるように聞こえるわ。公の場では」
「もちろん言わないさ。橘だから言えるんだ」
そう言って伊藤は天井の一点に目をやった。
「伊藤君」
天井を見ている伊藤に裕子は呼び掛けた。
「うん?」
「上場したら伊藤君は筆頭株主になるわ」
「……」
だから、と伊藤は言おうとしたが止めた。財務のプロの話を伊藤は待った。
「おそらく伊藤君は上場した瞬間、株式だけで1千億円近い資産を手に入れることになるわ」
「金の話はよしてくれ」
「お金の話なんかじゃないわ。立場と責任の話」
「立場と責任?」
「そう、立場と責任」
「僕は会社から出ていくんだ。社外取締役にもなるつもりはない」
「伊藤君、世間はそう甘くないの。特にお金の話となると伊藤君のファンも突如鬼になるのよ」
「鬼?」
「そう、鬼」

