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第26章 第四夜　線状降水帯 　➉

　伊藤は苦笑した。どんなに考えても実現性はゼロ。闇の中で芝居を作ることはできない。闇はどこまで行っても闇。考えることはできても、それを具現化することなんて無理に決まっている。
　黒一色の世界は絶望するためにある世界なのだろうか。つまり死ぬということはそういう世界に入りこむということなのか。伊藤の心がだんだん不安に覆われてきた。
　相変わらずヌルヌルした地面の感覚が背中に伝わって気持ちが悪い。土臭い匂いも伊藤の鼻先から逃げていくことはなかった。伊藤はだんだんつまらなくなってきた。
「おい！誰だか知らないがもういい加減にしろ！光をくれ！照明をつけろ！それから金縛りを解いてくれ！頼む！」
　伊藤はそう叫んだ。だが伊藤の声は闇の中では響かなかった。
「ふざけるなよ！元に戻せと言ってるんだ！僕にはやらなけれなならない仕事が山ほどあるんだ」
　伊藤はもう一度そう叫んだが、やはり伊藤の声は闇の中の空気を震わすことがなかった。闇の世界に音は存在しない。そう伊藤が思ったときだった。突然ピアノの音色が聴こえた。
　伊藤はその曲に聴きおぼえがあった。Autumn Leaves。数秒聞いただけでピアニストの腕がわかった。上手い、いやいや上手いなんて言うレベルをはるかに超えていいる。滑らかでありながらときおり心に突き刺さるようなタッチ。ピアニストの指が鍵盤の上を自由自在駆け回っている。
　伊藤はピアニストを記憶の中から探した。アートテイタム？　いや彼じゃない。誰だ…？…誰が弾いているんだ？
　わかった！伊藤は記憶の中から一人のピアニストを探し出した。
　彼の名前はビル・エヴァンス。正確に言うならばビル・エヴァンストリオ。
　ビル・エヴァンスが奏でるAutumn Leaves。歴史に残る傑作と言っても過言ではない。伊藤は闇の中で初めてにんまりと笑った。ジャズが聴けるなら闇の世界も悪くはないか、そう伊藤が思ったとき演奏が急に止んだ。
「おい！冗談じゃないぞ！ふざけるな！」
　演奏が途中で止まったことに伊藤は腹を立てた。だから伊藤は闇の中の誰かにそう怒鳴ったのだ。ところがどれだけ伊藤が怒鳴っても、やはり伊藤の声は暗闇の中では響かなかった。
　ピアノの音は確かに聴こえた。だが自分の声は相変わらず響かない。闇の世界はまるで一歩通行の道路のようだ。伊藤は悲しくなった。
　そのとき……。
「えっ！」