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千一夜
第29章 第五夜 線状降水帯Ⅱ  ②
 ホテルの部屋の窓に雨粒が当たり始めた。予報通り外は雨が降り出したようだ。海に近い横浜のクラッシックなホテルのスイートルームで、伊藤は文芸雑誌の原稿を書いていた。
 小説や芝居の本を書くとき、伊藤は海が見えるこのホテルを定宿にしている。
 部屋のチャイムは九時五分前に鳴った。約束の時間は九時。黒瀬ユアは遅れることなく伊藤の部屋のチャイムを鳴らした。おそらくユアは、伊藤が時間にうるさい男だと言うことを雑誌で読んだのだろう。時間に遅れた時点で話はなかったことになる可能性が高い。
 伊藤が部屋のドアを開けると黒瀬ユアが「こんばんは」と言って頭を下げた。「どうぞ」と言って伊藤がユアを部屋に招き入れた。すれ違った瞬間、ユアから微だがディオールの香りが伊藤に届いた。
 伊藤がソファに腰を下ろす。伊藤は立っているユアをじっくり眺めた。身長は百六十㎝位、黒のワンピースにブラウンのジャケットを羽織っていても、いやらしく熟し続けている体のラインは隠せない。手にはロエベの黒のトートバッグを持っていた。
「座って」伊藤がそう言うと「失礼します」と言ってユアは伊藤の正面の椅子に腰かけた。椅子に座るとユアはにこりと笑って伊藤を見た。
 くびれロングの髪をユアはゴールドベージュに染めていた。目は豹のように大きくて鼻も高い。ユアは笑うとアヒル口になった。エキゾチックでいい女、その中に可愛さが潜んでいる。いい女だと伊藤は思った。
 確かユアの年齢は三十二か三十三。伊藤がネットで検索すると、すぐにユアのプロフィールを見ることができた。引退したセクシー女優。今は……何をやっているのかは不明。
「君は本当にハーフじゃないの?」
 伊藤はユアが九州の出身であることをプロフィールで確認している。
「ふふふ。みなさんにそう言われます。それから父も母も九州の人間です」
「そうなの」
 プロフィールだけでなく、黒瀬ユアと検索すれば簡単にユアの裸の画像が出てくる。顔だけでなくユアの豊満な胸と腰のくびれは、伊藤には外国人のように思えたのだ。
「素敵なお部屋ですね」
「素敵な部屋でいいものが書ければいいんだが」
「やはり時計はロードマーベルですね」
「君の期待に答えなければならないからね。あれだけ持ち上げられたんだ。違う腕時計は君に対して失礼だ」
「ふふふ」
「ところで」
 伊藤の方から話の本題に切り込んだ。
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