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千一夜
第30章 第五夜 線状降水帯Ⅱ  ③
 賭けに勝った女を伊藤はもう一人知っている。その女は今一緒に暮らしている希。キャリーケースを手にしていた希が、伊藤の頭の中にふっと浮かんだ。ユアと比べても意味などないが、あの頃希は幼くて、自分にまとわりつく不安にびくびく怯えていた。きっと自分のことも怖かったのだろう。伊藤は希を不憫に思った。
 二人に共通するものがあるとすれば、それは覚悟だ。置かれた状況から逃げずに真っすぐに進む行動。それを褒めていいものなのかはわからないが、決断できずにぐずぐずしているやつらよりはましだ。
 松原だったろうか、それとも希だっただろうか。二人のうちのどちらかが、もし自分がノーと言ったら海外に行かなければならないと言っていたような気がする。稼ぎ先が海外とは、日本という国も随分と貧しくなったものだと伊藤は思った。
「君さ、海外からオファーがなかった?」
「えっ?」
 ユアは、伊藤の体を弄る手を休めずに淫靡な目だけを伊藤に向けた。
「気に障ったら許してほしんだが、君はそういう世界では有名人だったんだろ? 引退した君を欲しがる好色家はたくさんいたはずだ。日本でも日本以外でもそういうやつはいなかったのか?」
「ふふふ」
「いたのか?」
「いましたよ」
「どんなやつ?」
 伊藤は一瞬でもユアの体を玩具にしていたスケベ男が気になった。
「ききたい?」
「もちろん」
「伊藤さん、怒らないでくださいね」
「嫉妬はするが、君の過去の出来事を怒っても意味がない」
「嫉妬はするんですか?」
「当たり前だろ。生物学的に雄は嫉妬深い生き物なんだ」
「じゃあ、たっぷり焼きもちを焼いてくださいね」
「……」
 伊藤はドキリとした。淫靡だったユアの目が鬼気迫るものに変わったのだ。
「私にオファーを出してきた男が何人いたのかわかりませんが、条件を受け入れることができる誘いは二件ありました」
「条件」
 それはつまり金のことだろう。
「伊藤さん、詳しく知りたいですよね?」
「もちろん」
「できる限り正確に伊藤さんにお教えします。ただ、相手の名前だけは勘弁してください」
「それも契約に含まれている?」
「そういうことです。自分が誰なのかは絶対に口外しないこと。もちろん私が伊藤さんのことを誰かに言うなんてこともありません。ご心配なく」
「ふん。それで?」
「一人目の男は」
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