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千一夜
第33章 第五夜 線状降水帯Ⅱ ⑥

「この時計は手巻きですが、構いませんか?」
「手巻き?」
「毎日リューズを巻いてやらないと止まってしまいます」
「面倒なのね」
「決して面倒なことではありません。毎日、できれば決まった時間にゼンマイを巻く。慣れてしまえば面倒なことなんて一つもありませんよ」
「そういうことを面倒だと言ってるの。見せてもらっていい?」
「どうぞ」
伊藤は手首に巻いているシチズンホーマーを外してカレンに渡した。
「どう見ても安物よね」
時計を受け取るとカレンは文字盤だけでなく、裏蓋の方にも目をやった。
「その時計にも歴史があります」
「わかるわ。だってこんなに古臭いんだもん」
「JRが国鉄と名乗っていた頃、国鉄職員に支給された時計です」
「国鉄?」
「そう国鉄です。文字盤をご覧になってください。水色文字盤にはアランビア数字が並んでいます。夜光塗料が施されたドルフィンハンドを使うことによって、当時の職員の方々に昼夜を問わず列車の発車時刻や到着時刻を知らせていたのでしょう。そして今でも僕に正確な時間を教えてくれます。時計を誰かに見せるために買う人もいるでしょう。だからさっき倉田さんは僕にこう言いました『お金があるなら高い時計を買え』と。僕にお金があるかないかは別として、僕は自分が気に入った時計を身につけていたいんです。幸いなことに僕には誰かに腕時計を見せる趣味はございません。好きな時計が刻む時間の中に溶け込むために、今僕は毎日この時計のゼンマイを巻いています。時間なんて今ならスマホを見れば簡単にわかります。でも僕は腕時計に目をやることによって時間を知りたい。僕はそういう人間なんです」
「伊藤の話ってやっぱり小説になるのよね。ホームに立って列車を見送る国鉄職員の姿が目に浮かぶわ」
「時間を正確に繋いで一日を終えるだけでなく、一年二年と列車が動く限り全身全霊で職員の方々はその使命に向かい合っているんです。その相棒がシチズンホーマー」
「私が貰ってもいい?」
「どうぞ」
「そうよね、伊藤だったらこういうのたくさん持ってるんでしょ?」
「僕のコレクションはジャズのレコードだけです」
「女のコレクションは?」
カレンはそう言って伊藤を窺った。
「……」
伊藤の表情は変わらなかった。
「ありがとう、これ頂くわ」
「バンドを新しいものにしましょうか?」
「これでいいわ」
「……」
「手巻き?」
「毎日リューズを巻いてやらないと止まってしまいます」
「面倒なのね」
「決して面倒なことではありません。毎日、できれば決まった時間にゼンマイを巻く。慣れてしまえば面倒なことなんて一つもありませんよ」
「そういうことを面倒だと言ってるの。見せてもらっていい?」
「どうぞ」
伊藤は手首に巻いているシチズンホーマーを外してカレンに渡した。
「どう見ても安物よね」
時計を受け取るとカレンは文字盤だけでなく、裏蓋の方にも目をやった。
「その時計にも歴史があります」
「わかるわ。だってこんなに古臭いんだもん」
「JRが国鉄と名乗っていた頃、国鉄職員に支給された時計です」
「国鉄?」
「そう国鉄です。文字盤をご覧になってください。水色文字盤にはアランビア数字が並んでいます。夜光塗料が施されたドルフィンハンドを使うことによって、当時の職員の方々に昼夜を問わず列車の発車時刻や到着時刻を知らせていたのでしょう。そして今でも僕に正確な時間を教えてくれます。時計を誰かに見せるために買う人もいるでしょう。だからさっき倉田さんは僕にこう言いました『お金があるなら高い時計を買え』と。僕にお金があるかないかは別として、僕は自分が気に入った時計を身につけていたいんです。幸いなことに僕には誰かに腕時計を見せる趣味はございません。好きな時計が刻む時間の中に溶け込むために、今僕は毎日この時計のゼンマイを巻いています。時間なんて今ならスマホを見れば簡単にわかります。でも僕は腕時計に目をやることによって時間を知りたい。僕はそういう人間なんです」
「伊藤の話ってやっぱり小説になるのよね。ホームに立って列車を見送る国鉄職員の姿が目に浮かぶわ」
「時間を正確に繋いで一日を終えるだけでなく、一年二年と列車が動く限り全身全霊で職員の方々はその使命に向かい合っているんです。その相棒がシチズンホーマー」
「私が貰ってもいい?」
「どうぞ」
「そうよね、伊藤だったらこういうのたくさん持ってるんでしょ?」
「僕のコレクションはジャズのレコードだけです」
「女のコレクションは?」
カレンはそう言って伊藤を窺った。
「……」
伊藤の表情は変わらなかった。
「ありがとう、これ頂くわ」
「バンドを新しいものにしましょうか?」
「これでいいわ」
「……」

