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千一夜
第37章 第七夜 訪問者

「……」
「美人だろ? まぁ何不自由なく生きてきた遠山のお嬢様だ。少しは気が強いところもあるだろが、それはそれで我慢だよ。僕は知ってるよ。君が苦労しながらK大学の経済学部を卒業したことをさ。一流企業にだって勤めることができたのに、こんな田舎の市役所に来てくれた。ありがたいことだ」
「とんでもございません。私なんて」
「私なんて大したことがないとか、そういう謙遜はいらない。はっきり言う。君みたいな人間はそうそういないんだよ。仕事ができる君の足を引っ張るような同期はいない。上からは信頼され、下からは慕われる。それにこっちの方の変な噂を聞いたことがない」
市長は右手の小指を立ててそう言った。
「……」
「遠山機械工業が君の後ろ盾になる。当選間違いなしだ」
「市長になるつもりは」
「長谷川君、君に市長になってもらわないと困るのは私だけじゃない。君の同僚も困るんだ。統括課長というポストは一つだけだからね」
「……」
「見合いなんて堅苦しいことはなしだ。君と遠山の御嬢さんは偶然出会ったことにしようじゃないか。そして互いに認め合い惹かれあって結婚に至る。悪くない筋書きだろ」
「……」
「すべて私に任せなさい。二年後君はこの椅子に座る。わかったね」
「……」
私は頭だけ下げて市長室を後にした。
トムハンクス主演の映画は、私の心に安らぎを届けてはくれなかった。日曜の夜十時。いつもならリビングのソファで一時間ほど本を読んでから休むことにしているのだが、ディケンズを手にしたまま私は頁を繰ることができないでいた。
これが世にいうサザエさん症候群というものなのだろうか。役所に行き、市長と顔を合わすことを考えただけで憂鬱になる。
市長は私が断っても強引に話を前に進めるだろう。それどころか私は市長によって外堀を埋められたのだ。
長谷川統括課長は遠山咲子と付き合っている。その噂は一気に役所内に拡散された。私の逃げ道が一つ一つ消されていく。
写真の遠山咲子が私の頭に浮かんだ。確かに市長が言う通り咲子は美人だ。だが、咲子の奥に潜んでいる傲慢さが私には透けて見えるのだ。この女と同じ空間で生活することなんて考えられない。
ベッドに横になってもうまく眠ることはできないだろう。
「はぁ」私がため息をついたそのときだった。玄関のチャイムが鳴ったのだ。こんな時間に誰だろう。私はそう思った。
「美人だろ? まぁ何不自由なく生きてきた遠山のお嬢様だ。少しは気が強いところもあるだろが、それはそれで我慢だよ。僕は知ってるよ。君が苦労しながらK大学の経済学部を卒業したことをさ。一流企業にだって勤めることができたのに、こんな田舎の市役所に来てくれた。ありがたいことだ」
「とんでもございません。私なんて」
「私なんて大したことがないとか、そういう謙遜はいらない。はっきり言う。君みたいな人間はそうそういないんだよ。仕事ができる君の足を引っ張るような同期はいない。上からは信頼され、下からは慕われる。それにこっちの方の変な噂を聞いたことがない」
市長は右手の小指を立ててそう言った。
「……」
「遠山機械工業が君の後ろ盾になる。当選間違いなしだ」
「市長になるつもりは」
「長谷川君、君に市長になってもらわないと困るのは私だけじゃない。君の同僚も困るんだ。統括課長というポストは一つだけだからね」
「……」
「見合いなんて堅苦しいことはなしだ。君と遠山の御嬢さんは偶然出会ったことにしようじゃないか。そして互いに認め合い惹かれあって結婚に至る。悪くない筋書きだろ」
「……」
「すべて私に任せなさい。二年後君はこの椅子に座る。わかったね」
「……」
私は頭だけ下げて市長室を後にした。
トムハンクス主演の映画は、私の心に安らぎを届けてはくれなかった。日曜の夜十時。いつもならリビングのソファで一時間ほど本を読んでから休むことにしているのだが、ディケンズを手にしたまま私は頁を繰ることができないでいた。
これが世にいうサザエさん症候群というものなのだろうか。役所に行き、市長と顔を合わすことを考えただけで憂鬱になる。
市長は私が断っても強引に話を前に進めるだろう。それどころか私は市長によって外堀を埋められたのだ。
長谷川統括課長は遠山咲子と付き合っている。その噂は一気に役所内に拡散された。私の逃げ道が一つ一つ消されていく。
写真の遠山咲子が私の頭に浮かんだ。確かに市長が言う通り咲子は美人だ。だが、咲子の奥に潜んでいる傲慢さが私には透けて見えるのだ。この女と同じ空間で生活することなんて考えられない。
ベッドに横になってもうまく眠ることはできないだろう。
「はぁ」私がため息をついたそのときだった。玄関のチャイムが鳴ったのだ。こんな時間に誰だろう。私はそう思った。

