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千一夜
第52章 第七夜 本当の顔
 腕時計で時間を確認する。時間は一時二十五分。
「この店で間違いないよな?」
 私は咲子にそう言った。
「遠海さんがわざと違う場所をメモに描いたならその可能性もあると思うけど、そんなのあるわけないじゃん。遠海さん、お店の責任者みたいだし、なかなか抜け出せないのよ」
「だよな」
 咲子の言う通りだ。嫌なら私たちに会う必要なんてない。
 そんな会話をしているとき、私たちに向かって歩いてくる遠海が見えた。私は席を立った。咲子も私に倣って席を立つ。
「お忙しいところ本日はどうもありがとうございました」
 私は遠海舞に頭を下げた。
「いえいえ、実は私も都子ちゃんのことを心配していたんです。もう一年以上彼女に会っていませんから」
「座りましょう」
 咲子がそう言った。
「遠海さん、まずは食事をなさってください。お好きなものをどうぞ」
 私は遠海にメニューを渡した。
 遠海はメニューを受け取ってもそれを開くことなく、店員に「煮込みシチューライスとアイスカフェラテをお願い」と言った。
「じゃあ私もそれ頂戴」
 オーダーするのが当たり前のように咲子が遠海に続いて言った。
「……」
 私が呆れた目を咲子に向けると、咲子に逆襲された。
「まだ食べるのか、という目で私を見ないでほしいんですけど」
「ふふふ」
「恥ずかしいな、遠海さんに笑われたじゃないか」
「違うんです違うんです。仲のいいご夫婦だなと思って、笑ってごめんなさい」
「遠海さん、実は昨日、私たち夫婦最大の危機だったんです」
 咲子は遠海を味方にするつもりらしい。
「つまらないことを言うなよ。遠海さんに失礼だ」
「構いませんよ。喧嘩するほど仲がいいって言うじゃないですか。お二人を見ていると何だか羨ましいです」
 しばらくして料理が運ばれてきた。咲子と遠海が食事を終えるまで私はアフタヌーンブレンドを飲みながら、石川達三の“青春の蹉跌”を読む。
“蒼茫”を探してもらったのだが、見つからず、店員さんが“青春の蹉跌”を持ってきてくれたのだ。“蒼茫”も“青春の蹉跌”も名作だ。いや、傑作と言っていい。コーヒーに文学、絶妙な取り合わせだ。
 トリコロールにも文庫本を持ってやってくる客がいた。トリコロールは喫茶店だったが、cafe秋田文庫は小さな文学館のような気がする。
 喫茶店から文学館、そして小説。時代はうまく流れている。
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