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千一夜
第7章 第二夜 パヴァーヌ ③
「早川、俺飛鳥ちゃんに振られちゃったよ。爺になっても女の子に冷たくされるとショックだな」
「七十になっても女子高生を口説こうとする関さんの方が、俺にはショックです」
「男は死ぬまで女を求めるんだよ。早川、まだお前はガキだな」
「健太がガキ? ふふふ」
 私は笑った。
「そう、早川健太はまだガキだ」
 マスターの関が私に向かってそう言った。
「先輩、ここ使っていいですよね」
 カウンター席が七つ、一つあるボックス席には椅子が二つずつテーブルを挟んで向かい合っていた。主人はカウンター席を指さしていた。
「どうぞ」
「ねぇ健太、先輩ってどういうこと?」
「先輩は先輩だ」
「東大の?」
「そう」
「じゃあこのおじさんも東大出身なの?」
「東京大学で物理工学を勉強していた。ちなみに早川も僕と同じ工学部物理工学科」
 マスターは私にそう言った。
「東大出てバーのマスター?」
 東大を出た人間はすべて一流会社に勤めるものだと思っていた。
「違うよ。先輩は東大出て東大で教えていたんだ。もっとも助教で飛ばされたみたいだけど」
「先生?」
「そう、僕はね先生だったんだ、だから飛鳥ちゃん、早川なんかより僕の方が教え方上手いと思うよ」
「結構です。エロ爺は無理です」
「ははは。僕、エロ爺になったよ。ははは」
 主人が先輩と呼ぶ白髪の老人の名前は関一夫。ファールのマスターであり、この七階建てのビルのオーナーだ。この店に来る客はせいぜい十人(この中に主人も辛うじて入っているようだ)で、その十人の客は関によって選ばれた者たちだ。間違ってこの店のドアを開けてしまうと「今満席だ」と関に言われて追い返されるらしい。
 東京大学工学部物理工学科卒で卒業後は大学院に進み、その後東大の講師を経て北陸にある国立大学に助教授(当時)として招かれた。教授になるはずだったその前年、関の父が急逝した。関は助教授を辞めて家業の米屋を継いだ。その米屋の土地に七階建てのビルを建てたのだ。関の妻は、独立した息子一家と一緒に暮らしている。
 代々このファールのアルバイトは東大理一の学生が引き継いでいるらしい。今のバイトは主人の後輩。
 悪くないバイトだと主人が私に教えてくれた。客はいなので、ずっと一つあるボックス席で本を読むことができたのだそうだ。もちろん関はそんなアルバイト学生を叱ったりはしない。
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