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千一夜
第9章 第二夜 パヴァーヌ ⑤
 忘れることなんてできるはずがない。あれは私が小学二年生のときの十一月最初の土曜日。冷え込みが厳しくなり始めた週末の出来事だった。
 私の家族は箱根の別荘で過ごしていた。その日、父はいつものようにゴルフに出かけ、母も母の友達たちとランチと温泉に出かけていた。別荘には私と姉、そして通いのお手伝いさんがいた。
 姉と言っても歳が九つも離れていると、姉妹としての接点がとても薄いものになる。姉が聴いている音楽なんて私にはちんぷんかんぷんだったし、例えば姉が私に恋愛の話をしたとしても、私は姉の上手な聞き役には到底なれない。
 だから私と姉は、家にいるときですら会話のようなものがなかった。私にとって姉は、肉親というより一緒に住んでいるどこかのお姉さんだったのだ。そういう関係だったせいか、そのときまで姉妹で喧嘩をした記憶はない。
 昼食は私がオムライスで姉は野菜サラダと野菜ジュース。お手伝いさんが、姉に向かって「こんなのばっかり食べていたらウサギになりますよ」と言って姉と二人で笑っていた。
 いつもなら姉は、昼食を食べ終わると自分の部屋に向かうのだが、その日は少し違った。
「あっちゃん、外に遊びに行こうか」
 姉は私のことを飛鳥ではなく「あっちゃん」とよんでいた。
「うん」
 別荘なんて私には退屈な場所でしかない。姉の誘いに私はすぐにそう返事をした。
「飛鳥ちゃん、風邪ひかないようにね」
 お手伝いさんは、私に赤いコートを着せながらそう言った。
「うん」
 外に出れば退屈から解放されるような気がして、曇っていた私の心にようやく希望の光が射した。
 青いダッフルコートを着た姉に手をつながれて、私は別荘を出た。
「公園に行こうか」
 姉は私にそう言った。
「うん」
 私は嬉しかった。別荘の近くに小さな公園がある。大きな公園ではなかったが、それでも滑り台やブランコ、そしてシーソーなどが備え付けられていた。
 公園に向かいながら、姉は何かの歌を口ずさんでいた。私にはその歌がわからない。そんな姉に手を引かれながら、姉の気分がいいということだけは当時小学二年の私にもわかった。だから私の心も公園が近づくにつれて胸が高鳴っていった。
 父や母に置いてきぼりにされた別荘にいても味気ない。最初は何で遊ぼうか、私はそんな風に考えていた。
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