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ヒヤシンスの恋
第2章 薔薇の秘密
キンパを食べながら、菫は気になっていたことを遠慮勝ちに聞いてみる。

「…あのう…。
染布先生は、本当にこんな広いおうちにお一人暮らしなんですか?」
「そ。前は兄さんと暮らしてたけれどね。
兄さん仕事が忙しくなっちゃって都内のマンションに引っ越しちゃったんだ」
「…へえ…。
あの…ご両親は…べつのおうちに?」

染布はキンパを頬張りながら淡々と答える。
「僕の母さんは僕が十歳の時にソウルで亡くなった。
自動車事故。それからはおばあちゃんに引き取られて済州島で暮らしてた。
あ、ちなみに僕の母さんは正式な奥さんじゃないからね。
父さんが仕事で韓国に来て、母さんと出会って、盛り上がってデキちゃって僕を産んだらしいよ」
爆弾発言に思わず息を呑む。
「…は、はあ…」
「母さんはジャズピアニストだったんだ。
梨泰院の小さなジャズバーでピアノを弾いていた。
父さんは昔、ピアニストに成りたかったらしいんだけど、家業を継がなきゃならなくて、音楽を諦めたんだって。
それで母さんのピアノを聴いてビビッてきて好きになっちゃったらしい」

…あ、なんだか素敵…。
「…ロマンチック…ですね」

染布は肩を竦める。
「どうだかねえ。
相手は奥さんが居る人だからね」
「…あ、確かに…」
…不倫は、駄目よね…。

「で、僕が生まれて、母さんは父さんの前から姿を消した」
「え?なぜですか?」
「さすがにさ、妻子あるひとの子ども産んじゃってそのまま付き合えないって思ったんじゃない?
あと、父さんの家は古い実業家の家だから子どもを取られる…て思ったのかもね。
まあ事実結局、僕はこの家に引き取られた訳だけど」
「…はあ…」
…お、重いわ…韓ドラを地でゆく重さだわ。

「母さんはピアノ教師をしながら僕を育ててたけど、ある日呆気なく交通事故で亡くなった。
で、済州島に住むおばあちゃんが僕を引き取ってくれたんだ」
「…済州島…」
…聞いたことがあるような…。
「韓国のハワイって言われてる一年中温暖な島だ。
海が綺麗でのどかで…めちゃくちゃ良いところだよ。
おばあちゃんは小さな民宿をやっていたんだ。
そこで僕は三年過ごした」

…染布の琥珀色の美しい瞳が、ダイニングの窓の外を夢見るように見遣る。

「…懐かしいなあ…」

窓の外は、夏の薄墨色の闇と…仄白い名も知らぬ薔薇の色が溶け合っていた…。


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