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ヒヤシンスの恋
第1章 菫のため息
亮一を乗せたタクシーはあっという間に坂を下り、すぐに見えなくなった。

菫はいつまでも玄関ポーチに立ち、坂の下を見つめていた。
だらだら続く長い坂道の突き当たりは、ちょっとした観光地にもなっている有名な港だ。
引っ越してからすぐに亮一と港のそばに建つ古いホテルのスカンジナビア料理のレストランで食事をした。

明治維新後まもなく建てられたというホテルはそこかしこに品良く配置されている琥珀色のアンティークモダンな調度品がうっとりするほど素敵だった。

最上階のバーでギムレットを飲みながら亮一は言った。

『スミちゃん。月に一度はここでお酒を飲もう。
ロマンチックな夜の港を見ながら…。
君の瞳に乾杯…なんてな〜、俺そういうの似合わねえなあ〜』

ガハハと笑い、最後は三枚目になって戯けてしまったが、菫は嬉しかったのだ。
亮一の陽気な横貌は、学生時代と変わらずにやっぱり魅力的だったからだ。

「…何よ、亮ちゃんの嘘つき」
菫はフンと口唇を尖らせる。

踏ん切りをつけるように踵を返し、ふと足が止まる。

…初夏の薄荷の薫りがする風に乗って、微かなピアノの音が聞こえたような気がした…。

「…ピアノ?
お隣から…かしら…」

隣家の野薔薇の垣根の奥に眼を凝らす。
白い蔓薔薇が伝う煉瓦の壁は、まるで優雅な要塞のようだ。
とても今人が住んでいるようには見えない。

…ピアノはもう聴こえなかった。

「…気のせいかな…」

菫は肩を竦め、足早に家の中に入って行った。




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