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波の音が聞こえる場所で
第1章 Lighthouse
 季節風について考えることを僕はやめた。考えたことろで今ゴーゴーと吹いている暴力的で人を絶望に追い込むような風が止むわけではないし、僕は気象予報士になるための勉強をしている受験生ではない。手っ取り早く季節風について調べようと思っても僕にはスマホがない。僕はスマホを東京に捨ててきたのだ。というか、地面に思いきり叩きつけて、それを二度三度足で踏みつけた。いや正確に言えばスマホが粉々になるまで踏み続けた(そういう短絡的な僕の所業が後々僕を苦しめたのだが)。
 久須美によれば、今吹いている風はこの地方独特ものもので、二三日、あるいは一二週間続くこともあるそうだ。そして久須美はこう続けた。
「坂口君、君超ラッキーだよ。風が吹く前にここに辿り着いたんだもんね」
 久須美にそんなことを言われても、自分がどれだけ幸運だったのかなんてそのときわからなかったけど、とりあえず今僕の心臓は動いているし脳もしっかり機能しているみたいだ。
 凍え死ぬことなく僕は久須美が経営する中古品店Lighthouseまでやってくることができたのだ。ただ、僕の腹の虫はずっとなり続けている。空腹が僕を眠らせまいとしている。お蔭で僕は、自分にまとわりつく面倒な出来事を思い返さなければならなかった。あれとかこれとか、これとかあれとか。とにかく色々な僕に起こった事象と向き合わなければならなかった。
 僕はその一切を無視しようとした。僕に関係あることのすべてについて、僕は背を向けて放棄するつもりでいた。全部を投げ出したからこそ今僕はLighthouseの事務室で、-5℃までの寒さをしのぐことができると言う寝袋の中に入って、いつやってくるかわからない睡魔に手を引かれるのを待っているのだ。
 だが空腹のせいか、それとも寝袋の品質に問題があったのか、僕の体は一向に温まらなかった。
 飢えと寒さが振り返りたくもない僕の過去をわざわざ僕に運んでくる。触れたくない過去が、僕を過酷(僕にとって)な状況に追い込んでいった。つまり僕のダメージは体だけでなく心にも到達したのだ。
 だから無視しようとしても、放棄したつもりでも、過去という確かな事実は僕をずっとつけ回して僕の頭の中でそれを再生しようとするのだ。
 仕方がない、少しだけ振り返ってみることにしよう。そうでもしなければ僕は眠ることができないのだから。
 時間を昨日の夜に巻き戻す。
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