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恋かるた
第5章 思いたえなむ -睦月-

(来てしまった…)
顔を伏せるようにして手を引かれながらエントランスを入った志織は、エレベータに乗ってからも沢田の顔を見ることができなかった。
(寒かったから仕方なかったのよね…)
自分に言い訳をしながら眼を落とし、行先階ランプだけをただ眺めている志織の手はしっかりと恋人つなぎで握られていた。
「ごめんね、寒かったね」
「いえ、大丈夫です…」
部屋に入った志織は沢田とそれだけの言葉を交わすと、両腕を胸の前でたたんだまま彼に抱きすくめられた。
雪に濡れて冷たくなっていた髪を指でほぐされながら沢田に梳かされると志織の口から吐息のような切なげな声が漏れた。
「さわださん…」
「しおりちゃん…」
新入社員の頃憧れた沢田に20年近く経って名前で呼ばれた志織は、胸で合わせていた手をほどくと、沢田の背に回して力を込めた。
「しおりちゃん…」
もう一度志織の名をつぶやいた沢田が頬ずりするように寄せられると、その冷えた唇に温かい唇が重ねられた。
志織の閉じたままの唇が沢田の舌先でそっと開かれる。
自分の意思で開いた口にゆっくりと入ってくる彼の舌を志織は迎え入れると吸うように絡ませる。
首を左右に何度も傾けながら長い時間、唇と舌は重なり合い続け、ふたりに挟まれた胸が押しつぶされんばかりで息ができなくなりそうになった志織は深い吐息とともに唇を離すと沢田の胸に顔を埋めた。
(憧れていたあの人に…)
そう思うと志織は涙が出そうになった。
「お湯わかそうか…」
背中を離れた手でそっと肩をつかまれた志織は沢田の声にこくんと小さくうなずいた。
「あ、わたしやりますから」
カップを出しかけた彼に志織は我に返って言った。
何の音もしていなかった静かな部屋に、沢田が選んだ有線からピアノのジャズバラードが流れる中、ペーパードリップのコーヒーと紅茶のパックをセットしてケトルのお湯を注ぐ。
広がる香りと泡を感じながら志織は、このあとどうなるのだろうという期待と不安に包まれていた。
「ありがとう」
コトンと小さな音を立てて、ローテーブルにカップを置くと志織は彼に並んでラブチェアに腰を下ろした。
コーヒーに混じる煙草の香りをゆっくりと吐き出す沢田の少し物憂げな横顔を志織は、久しぶりに見たような懐かしい気がしていた。

