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二重生活
第15章 スピカ
思えば、近所で、こうして挨拶をされるのも珍しいことだった。
長くこの辺にすんでいても、すれ違う人は顔も知らないことのほうが圧倒的に多い。


もし、子供がいて近くの幼稚園に通っていたりしたら、きっとこんなふうに、彗君と歩いたりはできなかっただろう。

街のそこここで、「○○ちゃんママ!」「あらーこんにちは。これからお出掛け?」などと立ち話をしているのを目にする。


幼稚園児の子供がいる友達に、「ママたちの大好物って何か知ってる?」と聞かれ、「イタリアン」と答えたら不正解だった。
「彼女たちの大好物は、噂話よ」と、友達はため息混じりにそう言った。
誰がどこで何をしていたかという、育児にも幼稚園にも関係ない情報が、延々と話題にのぼるということ。
そして、噂話は光よりも速く伝わるらしいということ。
それは、お受験をしないかぎりずっと続く関係で、「知り合いの知り合いはみんな知り合いって思って暮らさないと」と言っていた友達に、少なからず同情したものだった。

もちろん、その時の鞠香にとっては、そんな小さな煩わしさすら羨ましくもあったのだけれど……。


「行こっか」彗君がポピーのリードを持ちかえて、左手を鞠香に差し出す。
手を繋いで、夜の表参道を歩く。

こうしていると、ずっと前からこうだったんじゃないかという気さえしてくる。
歩調も、会話のテンポも、手のひらがぴったりと密着する手の繋ぎ方も、全部好きだと思った。
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