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二重生活
第4章 初めて
「おいしーい。幸せ」

うっとりしていると、

「ほんと、おいしそうに食べるよね」

目を細めて彗君が言った。

「おいしいもの、好きなの」

「うん。伝わる。てかさ、鞠香さんは、どんな人が好きなの?」

ふいに、彗君に聞かれた。

「……うーん……とね……年上の落ち着いた人、かな?」

おおらかに送り出してくれた雄一……。穏やかな笑顔を思い出す。

「俺、対象外ってこと?」

「あ……ごめん」

「謝らないで! 今の聞かなかったことにするから。あー、でも聞いちゃったな……」

しょげている姿に、くすくす笑っていると、

「やっぱり可愛い、鞠香さん。旦那さんが羨ましい」

柔らかな笑顔で見つめられた。


ドキン……

彗君の瞳に見つめられると、心が掻き乱されてしまう。

「……やだ……もう! 何言ってるのー?」

笑いながらデキャンタを持ちあげ、彗君のグラスに注いであげた。
手が震えてしまうのを感じながら……。

たったこれだけのことなのに、どうしてなの……。




「鞠香さん。こっち見て」

身体が、びくんと小さく跳ねた。

それは、抗えない、甘い声だった。

鞠香の大きな瞳を縁取る長い睫毛が、1つ、まばたきをした刹那、

「……んっ」

後頭部を引き寄せられ、キスをされていた。


「両手が塞がってて、隙だらけだったから」



何か言わなきゃ……そう思ったけど、言葉は出てこなかった。
唇が熱い……。
胸が熱い……。



ある予感が、全身を駆け巡る。

何も、考えられなかった。


耳の奥に、哀愁と官能が濃厚に立ちこめるような情緒的なスペイン民謡の旋律が、切なく、力強く響いていた。
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