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ウイングの徒然草
第11章 旧盆の月
もちろん、すべての宗教に「満月の夜に死者を想う」という決まりがあるわけではありません。キリスト教には万霊節(ばんれいせつ)のように亡くなった人を記念する日がありますが、それは旧暦の満月とは直接つながっていません。メキシコの死者の日も有名ですが、これも月齢とは別の暦の行事です。ですから、世界中で満月の夜に死者を想う、と言い切るのは少し大きく括りすぎているかもしれません。ただ、それでも、月の満ち欠けと死者への祈りが結びついている文化は、東アジアを中心に確かにあります。そこに私は、少しだけ心を引かれます。
なぜ月なのか、と考えることがあります。昔から、魂は月に帰るという言い伝えを耳にすることがあります。本当にそうなのかどうかは、私には分かりません。けれど、そう言われると、月を見る時の気持ちは少し変わります。太陽は明るすぎます。現実を照らし、仕事へ向かわせ、生活を動かす光です。けれど月は、少し違います。夜に浮かび、静かで、遠くて、手が届かない。見えているのに触れられない。亡くなった人を思い出す時の距離感に、どこか似ています。もう会えない。声も聞けない。けれど、完全に消えてしまったわけでもない。ふとした時に思い出し、夢に出てきたり、何気ない景色の中で顔が浮かんだりする。月は、そういう記憶のあり方に近いのかもしれません。
なぜ月なのか、と考えることがあります。昔から、魂は月に帰るという言い伝えを耳にすることがあります。本当にそうなのかどうかは、私には分かりません。けれど、そう言われると、月を見る時の気持ちは少し変わります。太陽は明るすぎます。現実を照らし、仕事へ向かわせ、生活を動かす光です。けれど月は、少し違います。夜に浮かび、静かで、遠くて、手が届かない。見えているのに触れられない。亡くなった人を思い出す時の距離感に、どこか似ています。もう会えない。声も聞けない。けれど、完全に消えてしまったわけでもない。ふとした時に思い出し、夢に出てきたり、何気ない景色の中で顔が浮かんだりする。月は、そういう記憶のあり方に近いのかもしれません。

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