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明君のお母さんと僕
第5章 柱の観音様
 僕の部屋の壁の柱には、朱色の丸い紙が貼られている。
 丸い紙には瞑想する観音様の絵が書かれている。
 いつから存在していたのか。誰が買ってきたのか。知らない。確認しようと思ったこともない。ただ、僕は物心ついた頃から毎晩寝る前、観音様に三つのお願い事をするようになっていた。なぜ三つなのか。お願いは三つまで叶えてもらえると勝手に信じていたからだ。
 小学校低学年の時は最初に「日本で戦争が起こりませんように」とお願いをしていた。
 戦争に対する恐怖は、田舎に住む叔母の家で読んだ漫画「はだしのゲン」や、図書館で読んだ絵本「ピカドン」、近所の子供会で連れていかれた戦争写真展などの影響が大きい。
一瞬の閃光で街が焼き払われて、人々の皮膚がただれ、「熱い、熱い」と呻きながら川にぞろぞろと向かっていく、まさに地獄絵図。僕はあんなふうに死にたくない。
 二つ目のお願いは可愛いもので、好きな女の子の名前を告げて、「〇〇さんに好きになってもらえますように」。
 三つ目のお願いは、「明日は叱られませんように」だった。
 僕は父親が怖かった。ひどく殴られることはなかったが、いわゆる説教が長かった。二時間、三時間で終わればまだマシで、一度父親の説教に火が付くと大抵はその日、夜眠るまで延々と続く。「お前さあ、それでええと思ってんの?」「お前はいつも現実から逃げてばっかやね、チッ」「ほんまに情けないなぁ、チッ。何や、その顔。文句あんならハッキリいえ!」「俺はお前のことを大事に思うから、いうてんねんで」といった言葉と、苛立ちを露わにする舌打ちの応酬で終わりが見えない。そして、その間は座ることが許されない。常に直立不動で、視線も逸らしてはいけない。
 少しでも視線を逸らせば、「ほら、また逃げた。チッ」と舌打ちをされるので、懸命に父親の目をじっと見据える。何時間も立たされるのも肉体的に辛かったが、貧血を起こして足ががくっとなったところで、「わざとらしい奴や」と吐き捨てられるのがオチだった。
父親の瞳の中にはいつも情けない僕がいる。もちろん、泣いたらダメだ。泣き虫は男の恥だ。男は人前で涙なんか見せてはいけない。
 説教が始まると、父親は煙草をやたら吸う。煙草の煙というのは灰皿にある時は濃い青色だ。父親の口から吐き出された時の煙は白い。僕は青い煙が好きだった。白い煙は臭い。
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