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明君のお母さんと僕
第6章 風鈴と羊のタオルケット
 夕焼けの茜色が公営住宅の廊下を染める頃、僕は明君の家から帰る。
 玄関先で明君のお母さんは必ず「気をつけてね」と言う。僕の母親も出かける時に「気を付けなさいよ」と言うけど、それは適当だ。「いってきます」に対する返答に過ぎない。
 でも、明君のお母さんは違う。
 僕の目の奥を覗き込み願うように言うので、居たたまれない気持ちになってしまう。
「うん。気を付ける」
 僕はこの時ばかりはしっかりとした口調で返す。そういってあげると、明君のお母さんは少し安心するのか、力なくだけど微笑んでくれる。
 今日は帰る時にお土産をもらった。僕の鞄には今、夏蜜柑が二個入っている。
「お家に帰ったら手を洗ってから、食べてね」
 明君のお母さんに言われたことを思い出すと、なんだか頬が緩んでしまう。
 いまも僕の両方の手には、明君のお母さんのおっぱいの感触が残っている。
 手を洗うのは勿体ない気がした。

★

 留守なのかな。お買い物にでも行っているのかな。
 もう一度、呼び鈴を鳴らして、ドアに耳を近づけてみたけど物音ひとつしない。
 お昼寝しているのかな。
 じりじりと焼き付けるような夏の日差しの中、虫が這うように背中に汗が流れる。
 明君のお母さんのおっぱいを揉ませてもらった翌日だった。
 当然今日も期待して遊びに来たけど、何度、呼び鈴を鳴らしても反応がないのだ。
 こんなことは今まで一度もなかったから、僕は途端に心配になってきた。確か昨日「明日も来ます」と約束したはず。いや、昨日はおっぱいを揉んだ感動のあまり、明日の約束をし忘れたかもしれない。
 いつもは呼べば開く、明君の家のクリーム色の玄関ドアが静かに僕の前に立ちはだっている。
 もしかして、部屋で倒れているのかも。
 お買い物に出かけた帰り、事故に遭っているのかも。
 待っている時間が長くなればなるほど、不安も妄想も広がっていく。
 いても立ってもいられなくなって、僕は一旦、明君の家の前から立ち去って、近所を駆けずり回った。明君のお母さんが行きそうなスーパーや薬局、本屋も観て回ったけどいなかった。
 結局、僕は一時ぐらいから四時過ぎまで、明君の家を何度も訪ねて呼び鈴を鳴らしては返事がなければ、近所を見て回るという行為を繰り返していた。
 一寸先は闇──自分の家に帰る間、そんな言葉を考えていた。
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