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明君のお母さんと僕
第9章 夕餉
おや、カレーの匂いがする。今夜はカレーかな。
午後七時前でも八月の空はまだ明るい。
帰り道に見上げた空も下半分は茜色で、上半分は宇宙の色になっている。
人は家路を辿り、我が家から灯る光を見ると幸せな気持ちになるそうだ。
自分の家の明かりに、温もりを感じるそうだ。
僕は物心ついた頃から、一度もそんな感傷になったことがない。
家の前まで帰ってきて母親の夕餉の支度の匂いがすると、吐きそうになる。
今夜はカレーのようだが、家に入りたくない。
家族というものと食卓を囲みたくないのだ。
幸いにも今夜はまだ家の前に車がないので、父親は帰ってきていない。
いつの頃からだろう。昼が終わり、夕方が終わり、そして夜になる。夜になると、父親が車で帰ってくる。車の音が聞こえてくるだけで僕は心臓が縮こまる。
僕は今日、何も問題を起こさなかっただろうか。母親はちょっとしたことでも、すぐに父親に告げ口をするので要注意だ。僕に少しでもダメな部分があれば、夜中まで説教が続く。もちろん、その間は座ることなど許されない。「気をつけ」の姿勢を保たねばならないのだ。
数時間立たされると、貧血みたいになる。一度本当に倒れてしまったことがあった。さすがにもう許してもらえると思ったら、「わざとらしいヤツや」と言われた。
ずっと立っているのもしんどいけど、僕が一番嫌だったのは、説教の途中からお酒を飲まれることだ。お酒を飲み始めると、本当に終わらない。
お酒は自分の感情をコントロールできなくなるというけど、まさにその通りで、ときに饒舌に自分語りを始めたり、ときに怒りを露わにぶつけてきたり……お酒はしつこい。ようやく父親から許しが出て、自分の部屋に戻り、泣きながら布団に潜っていると、叩き起こされることもあった。
「一つ言い忘れていたよ。お前さぁ……」と、またネチネチとした嫌味を言われて、人格を全否定するような厳しい言葉を浴びせ続ける。
全部、お酒のせいと言えるのは飲んでいる本人だけであって、僕は誰のせいにも出来ない。
やっぱり帰りたくない。
僕は我が家の光を見て、ゆっくりと踵を返した。どこへ行こうか。
午後七時前でも八月の空はまだ明るい。
帰り道に見上げた空も下半分は茜色で、上半分は宇宙の色になっている。
人は家路を辿り、我が家から灯る光を見ると幸せな気持ちになるそうだ。
自分の家の明かりに、温もりを感じるそうだ。
僕は物心ついた頃から、一度もそんな感傷になったことがない。
家の前まで帰ってきて母親の夕餉の支度の匂いがすると、吐きそうになる。
今夜はカレーのようだが、家に入りたくない。
家族というものと食卓を囲みたくないのだ。
幸いにも今夜はまだ家の前に車がないので、父親は帰ってきていない。
いつの頃からだろう。昼が終わり、夕方が終わり、そして夜になる。夜になると、父親が車で帰ってくる。車の音が聞こえてくるだけで僕は心臓が縮こまる。
僕は今日、何も問題を起こさなかっただろうか。母親はちょっとしたことでも、すぐに父親に告げ口をするので要注意だ。僕に少しでもダメな部分があれば、夜中まで説教が続く。もちろん、その間は座ることなど許されない。「気をつけ」の姿勢を保たねばならないのだ。
数時間立たされると、貧血みたいになる。一度本当に倒れてしまったことがあった。さすがにもう許してもらえると思ったら、「わざとらしいヤツや」と言われた。
ずっと立っているのもしんどいけど、僕が一番嫌だったのは、説教の途中からお酒を飲まれることだ。お酒を飲み始めると、本当に終わらない。
お酒は自分の感情をコントロールできなくなるというけど、まさにその通りで、ときに饒舌に自分語りを始めたり、ときに怒りを露わにぶつけてきたり……お酒はしつこい。ようやく父親から許しが出て、自分の部屋に戻り、泣きながら布団に潜っていると、叩き起こされることもあった。
「一つ言い忘れていたよ。お前さぁ……」と、またネチネチとした嫌味を言われて、人格を全否定するような厳しい言葉を浴びせ続ける。
全部、お酒のせいと言えるのは飲んでいる本人だけであって、僕は誰のせいにも出来ない。
やっぱり帰りたくない。
僕は我が家の光を見て、ゆっくりと踵を返した。どこへ行こうか。

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