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禁断の果実 ―Forbidden fruits― 第2部
第16章
競技初日の9月27日(金)
その日の滑走がないクリスは、女子SPのリンクサイドにいた。
前の選手の得点が出るまでの間、シングルジャンプを跳びタイミングを確認する妹を見守るのは、常と変らぬ静かな瞳。
今年は日本開催のジャパン・オープンには出ず、ドイツ、オーベルストドルフで開催されるネーベルホルン杯が初戦となり、各プログラムの初披露ともなる。
ヴィヴィ本人の提案で鴉(カラス)をイメージした衣装の、その羽根の髪飾りを気にする素振りの妹に、
双子の兄がピンで固定されている事を確認して頷けば、頭一つ分下にある小さな顔は意を決めた様にしっかりと頷いた。
得点が発表されたのち己のコールがなされると、お爺ちゃんコーチとクリスに送り出されたヴィヴィは、観客に応えつつ迷いのない仕草でスタート位置に着いた。
広大なリンクに響く、威嚇する鴉の鳴き声。
黒濃く引かれたアイライナー越し、灰色の瞳がAllegro(速く)capriccioso(気まぐれに)の指示通りに跳ね始めた二台ピアノの音色に、瞬膜を瞬かせる鴉の如くきらりと閃く。
主題から第一変奏へ移行する中、右足フォアからバックへのカウンター、左足に替えバックでイン→アウトと踏み分け、フォアにターンするカウンター。
それらのトレースを描いた左足で踏み切ったのは、危なげない三回転アクセル。
フロントエントリーのバタフライ → キャメル → ドーナツ とスピンを回り、締め括りのハーフ・ビールマン。
第二・第三と変奏が畳み掛けられる曲想に、己が重なる。
ある時は娼婦のように実兄を惑わし、ある時は髪の乱れも気遣えぬ学生。
そして、ある時は――こうやって、リンク中央で衆目を集めるフィギュア・スケーター。
どれも自分じゃないようで、けれども、どれもが現実の自分。
威嚇的な強い響きをもつ、二台ピアノによる不協和音。
それに振り回されず負けじと踏み分ける、ステップシークエンス。
振付師 ジャンナ・モロゾワの提示したテーマは『変幻』。
――姿を表わしたかと思うとたちまち消え去ること。
出没や変化をすばやくすること――
だからだろうか。
自分はこのプロを滑り込む度に毎度、想う事が異なる。
ある時は、二台ピアノの様にクリスと切磋琢磨しつつ寄り添ったり。
ある時は、闇雲に変化し続ける匠海との関係を愁いたり。